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自分の役割は変わり続ける

演技をするとき、各々に「役」が与えられるのだけど、そのときに大事なのは、「この子はどんな子なのかしら」と思いを巡らせることだけではなく「この子はどんな役割なのかしら」と俯瞰して見ることが大事だと知った。

いろんな登場人物がいるなかで、この子はどんなトリガーを引くんだろう、とか。なんのためにこのキャラクターを劇のなかにいれたんだろうとか。

無駄な登場人物はいない。いるからには、何かしらの意図があるはずなのだ。

たぶん、わたしたちは「ひとり」だったら役割はない。

自分がリーダーだし、自分が書記だし、自分がアドバイザーだし、という感じですべて自分で担うのが当たり前だ。

でも、複数人いると、自分の役割について考えるようになる。

リーダーはもうすでにいるから、自分はリーダーから退くとか、ムードメーカーがいないから自分がムードメーカーになってやろうとか、自分がいるべき場所を考えて、そこにあてはまるように振舞っていく。

絶対に、誰にも必ず役割があって、裏を返せばかぶってしまうような役割はいらない。

でも、そこがうまく見つけられないときもある。もう主要な役割は埋まってしまって、微妙な役割しか余ってないかもしれない。

自分は所詮、「通行人A」なんだろうなとか。

「早いもの勝ち」の役だってきっとある。それは、仕方がないところもあるけれど。

でも、どんな役だろうと、きっと自分の役には意味がある。

前に、みるきーに取材したときに、マイナスが強みになるかもしれないと言っていた。たとえ、自分は喋るのがうまくなくても、それは聞き上手だからなのかもしれなくて、そしたら聞き手に回ればいいのだと。

そして、それが自分の役割なのだと。

自分のやりたい役はもちろんあるよ。誰かを引っ張っていく存在でありたいとか、ムードメーカーでいたいとか。

でも、人の組み合わせが変われば、自分の役割だって変わっていく。

いつもリーダーにはなれなくても、きっとどこかのグループではリーダーになってる。

家族というグループでは聞き手にまわっていても、学校だったらアイデアマンになっているとか。

グループに寄って役割が変わってあたりまえ。

そんなふうに、自分の役割を知って、いろんな自分を楽しめたらいいなと思う。

いつもリーダーじゃなくていいし、いつもサブにいる自分に落ち込まなくていいんだと。

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