自分の意見を持たないことが大人なの?
10代限定のイベントでグラレコをしてきた。
「10代が社会を考え、意見を言っちゃダメですか?」
というイベントで、グラフィッカーとしての参加ながらもじっくり堪能してしまった。
そのなかで、印象的なお話がふたつあった。
ひとつは、大人がよく使う「YES, BUT」の言葉について。
何か意見をしたことに対して、「その考えは素晴らしいと思う。でも…」と、賛成しているようで反対をする。
もちろん、それにはちゃんと意味があったり、相手を思ってのふんわりとしたクッションのような枕詞でもあるのだと思うが、当事者からしてみれば、結局賛成してるの?どっちなの?ということになる。
やわらかな反対。
これは言われたら良心が痛むなぁと思った。仕方がないことだけどモヤモヤが残ってしまうよね。
もうひとつは、「自分の意見を言わないことが大人なのか」ということ。
なんとなく思い出してみると、小学校1年生は授業中も「ハイハイハイー!」という感じで、高学年くらいから誰も手を挙げなくなるよなぁって。
たぶんそれは、自分の意見が間違ってると諭されたり、笑われたり、反対されたりして失っていく勇気なんだと思う。
イベントに参加した高校生が、「自分が納得のいかないものに対して意見したことで、まわりを巻き込んで、大人にならなきゃいけないのかと思いました。自分の意見を言わないことが、大人になるってことなのかなぁ」
…と言っていて、胸がぎゅっとなった。
こうやってみんな言いたいことを我慢するようになって、次第に自分の意見を持たなくなっていってしまうんだろうなって。
「どうして?」と思うことは尊いはずなのに、「どうして?」と問うと跳ね除けられてしまう。
そんな世界じゃ、意見したくもなくなるよね。
そんな世界が、黙ってまわりに合わせて頷く大人をつくってしまって、「もっと主体性を!」なんて言われる頃には主体も何もなくなっているんだろうな。
ルールに従って生きるのは楽かもしれないけど、意見を持つって尊いこと。
たとえ世界が肯定しなくても、ひとりでも意見に共感してくれる人とみんなが巡り会えたらいいのになと思うのでした。
意見を持たないことが大人になるってことなら、大人になんなくていいよ!!!
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