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わたしが書いて”くれた”note
自分の感情を残しておきたくてつらつら書いているこのnote。
気付いたら自分のためだけじゃなく、誰かに届いていたnote。
先日、こんなコメントをもらってすごく嬉しかったのを覚えている。
「書いた」はただの事象だけど、「書いてくれる」は、たぶんその人にとって「良いこと」なのだという証。
正直に言ってしまえば、公に出ているライティングの仕事は、取材相手や編集さん、媒体がすごいのであって、わたしにとっては錯覚資産だと思っている。
すごい人の言葉は、もうそれだけですごい。
ただただ、お仕事に恵まれているのだ。ありがたいことに。
だから、唯一ありのままとも言えるのがこのnoteであって、もちろんたくさんの人に読んでもらえたら嬉しいけど、一生懸命やろうとも思わず、ちゃんと書く気もせず、だらだら移動中に書いているようなnoteを認めてもらえるのは本当に奇跡に近い。
むしろわたしが「読んでくれて」ありがとうと言いたい。
不思議だけど、人は見返りを求めているようで求めていないことに気付く。
一方的にしかフォローしてなくても、毎日元気にツイートしてくれたらそれで良い人。何気ない日常の写真をあげてくれたらそれで良い人。笑っているだけでも良い人。
誰かにとっての誰かは、別に直接的に知ろうが知らまいが、いてくれると嬉しい存在だったりする。
私も好きなアカウントの人がいるけれど、一度も話しかけたことがないし、たぶん「いいね」も頻繁にするわけじゃない。
でも、ずっと見ているし、書いたものを読んでいる。
何を書こうかなぁ。何を呟こうかなぁ。
そんなことを考えてしまうけど、ツイートした瞬間、「ツイートしてくれた」と思ってくれる人がどこかにいるのかと思えば、もっと楽しく気楽に発信していいよね。
知らないうちに、誰かの元気になればいいよね!
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