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“楽しく書きながら読まれる"ために必要なのは「気持ち」に「手法」を足してゆくこと

先日こんなツイートをした。

わたしが心から好きだと思うこと、誰に言われずとも勝手にやってしまうことは、今書いているような日記を書くことだ。

でも一方で、「書くからには読まれたい」という思いももちろん持ち合わせている。仕事として「書くこと」を選ぶからには、この視点は必要なこと。

そこでいただいたのが下記の質問だ。

「好きなように書くこと」と「読まれる文章を書くこと」。一見両立できないようなことのように思えるが、わたしはそんなことはないと思っている。

まず、わたしが「書くこと」で1番大切だと思っているのは、「ハードルを下げてとりあえず書いてみること」「素直に自分の言葉で本音を晒してみること」「楽しいと思えること」だ。

そのためには、一度「読まれるかどうか」をさておくことが必要だと思う。

はじめに手法を学んでしまうと、型にはまってしまい、楽しみを見出せずに心が折れてしまうと思うから。

たとえるなら、最初にフォームを教わってからボールを蹴るような感覚。「赤と黄色を混ぜるとオレンジになるんだよ」と教わってから絵を描くような感覚。

たしかに、そちらのほうが上達するには早いのかもしれないが、「楽しい」という「気持ち」が育たないまま置いていかれてしまう。

それよりは、「ボールがあるから蹴ってみたら楽しかった」「赤と黄色を混ぜてみたらオレンジになってびっくりした」と、「とりあえずやってみて」気持ちを育みながら取り組んだほうがきっと楽しいんじゃないかと思うのだ。

だからこそ、わたしは「まずはハードルを下げて好きなように書いてみようよ」と言っている。

そのうえで、「読まれたい!」という思いが生まれて初めて「手法を学ぶ」ステップに移れるんじゃないかと。

そして、手法には、大きく分けて「文章術」と「マーケティング」の2軸がある。

「文章術」は、端的にわかりやすく書けているか、前置詞や接続詞は適切か、まとまりのある構成か、というような術を守ること。

「マーケティング」は、ターゲットはどこなのか、誰かの悩みを解決できるか、親しみや共感度があるか、ということを考えること。

ほとんどの人は、この「文章術」と「マーケティング」から入ろうとしているので、「本当は自分が書きたい内容じゃないけど、ターゲット的にはここが良いからこのテーマで書かなきゃ」とか、「不本意だけど端的に短く伝えるために削らなきゃ」とか、「書きたいこと」そっちのけでぐちゃぐちゃ考えてしまいがち。

そして、「あぁ、書くってなんて面倒くさいんだろう!!」と匙…もとい筆を投げてしまう。

そうなると本末転倒なので、「まぁまぁみんな落ち着いて〜」となだめるのがわたしの仕事だ。

「好きなように書いた」うえで「文章術」と「マーケティング」を足していけばいいじゃない、と。

具体的にこのnoteを例に説明してみるで。

わたしがこのnoteを書いた理由は、「質問をもらったことで、『読まれる文章を書くうえでわたしが大切にしていることってなんだろう?』と掘り下げて考えてみたくなった」から。自分を知るために書きたいと思ったわけである。つまり、好きで書いている。

では、ここに「マーケティング」を足してみるとどうなるのか。

どんな人に読まれそうか。まず、質問してくれた方は確実に読んでくれるはず。そして、質問者がいるということは、『書く習慣』を読んで同じような疑問にぶち当たった人がいるはず。

となるときっと、本は読んでなくても「書きたいけど手法にとらわれて悩んでしまっている」人にも届くはず。

…という思考にいきつく。

うーん、じゃあ届けるためにはどうしたら良いだろう。わたしは最初のアイキャッチですべてが決まると思っているので、タイトルをいじることにしている。

タイトルというのはどうとでもつけられるものだ。質問されたとおり、「文章術と書く習慣の両輪を回すには?」でも良いし、「はじめに手法を学ぶと書くのが楽しくなくなる件」でも良いんじゃないかな。

でも、ターゲットが求めていることはなんだろう。この記事を通じて得たいものはなんだろう。

それは、「楽しく書きながら読まれる」ことである。

というわけで、タイトルは

“楽しく書きながら読まれる"ために必要なのは「気持ち」に「手法」を足してゆくこと

になる。

「文章術」に関しては、わたしの口から説明するのは恐れ多すぎるので巷に溢れる文章術の本を手に取ってみてほしいが、強いてわたしがやっている特殊な方法としては、「簡単な言葉を使うこと」と「ちょっと崩すこと」だ。

広く届けるためには誰でもわかるような簡単な言葉を使うことがとっても大切。わたしの場合は「中学生でもわかるかな???」ぐらいにハードルを落としている。

そして、ちょっと崩すというのはだな…こういうことだよ…。(伝われ)

淡々と書くだけじゃその人の「らしさ」も出ないし説明文みたいでつまらなくなっちゃうので、ひとりツッコミを入れてみたり、普段の口癖をそのまま書いてみたり、身近な例や体験談みたいなのを入れてみたりする。

そうすることで、内容のみならず「はっ、なんだこいつ、おもしれー女」と思ってもらえて読まれる(はず)だ。

これは文章術なんだかなんなんだかわからないが、わたしが大切にしていることである。

ただ、わたしの場合はもう完全に無意識の域だ。「ターゲットはここ!」とか「文章崩そ!」とか改めて考えない。たぶん量を積みすぎたせいで「なんとなくわかる」という状態に来ている。そしてそこの域にいくには“書いて出す"を繰り返すか、手法を学んで自分のものにするしかない。


そもそも文章というのは「読まれない」ことが前提だ。だからわたしは、とりあえず出して読まれたらラッキー!だと思う。

それに、文章術やマーケティングなんか1ミリも学んでなくても、どちらも日常的に自然と会得しちゃってたりする人はいるので、「なんかテキトーに書いてたら読まれた」というパターンもある。(なおわたしはこのパターンである)

だからわたしは「学ばなくても良いから書こ??」となんべんもなんべんも言ってるわけです。

ただ、どんなに頑張っても読まれない…という人は、「楽しんで書く」ことに「手法」を足すことを意識してみてほしい。「タメになるうえ、楽しんで読めるって最高やん」な感じに持っていくのだ。

楽しんで書けば気持ちがのる。そこに読まれる仕掛けがあればそりゃ読まれる。とにもかくにも、まずは好きに書いてみるところからはじめて、一歩踏み込みたくなったら次のステップに行ってみよ!

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