わたしがFacebookに救われた日
最近、SNSを離れる人が増えている。
サービスというのは時代の変化とともにどうしても最終的にはそうなってしまいがちだし、実際にわたしもSNSに疲れることもあるのでとてもよくわかる。
特に、Facebookはあまり見なくなってしまった。
それは、仕事で使うようになってしまったこともあり、「会社の人のプライベートを見てもなぁ〜」な気持ちもあるし、希薄な関係が多すぎて「誰だっけ…」と思う投稿が多いのもあるし、という感じだ。
でも、わたしはおそらくサービスが終了するまでFacebookを辞めることはないのだと思う。
中2の春、父の転勤でアメリカに引越した。
人見知りで、話すのが苦手で、積極的に人と話せなかったわたしを救ったのがFacebookだった。
口ではうまく話すことはできないけど、テキストでなら英語が話せた。
話す口実がなくとも、写真をシェアするだけで人の輪のなかに入れた。
話しかけることはできなくても、グッドボタンなら気軽に押せた。
Facebookがあったからこそ、関係が構築できたのだ。
今日、仕事で初めてFacebook社を訪れた。
直接わたしに関係のある取材ではなかったけれど、なんだか感慨深かった。
Facebookは人と人を繋ぐために生まれた。
もしかしたら初めは、リアルからネット、だったかもしれないけど、わたしにとってはネットからリアルだった。
テキストしか操れないわたしに居場所を与えてくれたような気がしたのだ。
今は、Facebookを使うことは減ってしまった。
でも、アルバムを開くとアメリカのときの写真が詰まっていたり、現地の友だちと唯一繋がっていたりするのはFacebookだけなのだ。
SNSはしんどい。SNSはめんどくさい。SNSなら何を言ってもいいと暴言を吐く人だっている。
それでも、SNSに救われる人も、そこにしか居場所がない人も、きっといるのだ。
だから。うん。わかんない。もっと優しい世界になればいいのになと思う。
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