東畑開人『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』
2023年3月に友人たちとはじめた読書会の1冊目に選んだのは、東畑開人さんの『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』。臨床心理士として十数年あらゆる人のカウンセリングを続けてきた「中堅心理士」の東畑さんが書いた、いまを生きるための本だ。
資本主義が全体を覆い、すべての個人が自由でありながら孤独を抱える現代社会を東畑さんは「小舟化した社会」と呼ぶ。誰もが小舟でスイスイ軽やかに動けるぶん、荒波が襲ったときにも誰かに助けを求めにくい時代。そういう社会でわたしたちは人生をどうしていけばいい?という問いを考える。
本書では各章で「補助線」が示される。ひとりひとりが小舟に乗せられた過酷な航海のなかで、心が迷子になりつらくて苦しくてどうしようもないとき、いくつかの視点から心に補助線を引いてみようと東畑さんは提案する。
ドカッと襲ってくる複雑で大きな問題、自分の不安や悩み。それらを補助線で切り分けることで「ああ今わたしってこういう状況なんだ」と理解しようと試みる。そういう内容だった。
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読み終わって、わたしたちは互いに感想を話し合った。そこでひとりから「結局、このタイトルってどういう意味なんだろう?」という発言が出る。
なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない
たしかにずいぶん抽象的なタイトルだ。「なんでも見つかる」ってなんだろう? なぜ「夜」なんだろう? 補助線を引こうって話なのに、結局「こころは見つからない」のか?
もしこれが、心に補助線を引いて問題解決、もうあなたは悩まなくていいんです! という内容の本ならきっとこんなタイトルにはなっていない。「心を幸福へ導くテクニック」とか、もっと直接的なら「7つの補助線で資本主義社会を生き抜く」みたいなものになっていただろう。
この本の主張は違う。そしてこの主張こそ、わたしが本書をもっとも気に入った点でもある。本編の最後で東畑さんが唯一言い切っていることだ。
心に補助線を引くことでぐちゃぐちゃにこじれたつらさや苦しみをわかりやすくしようとする本なのに、最後はこれ。シビれる。
東畑さんはあとがきで、問題解決に導くような自己啓発本に対するいわば「メタ自己啓発本」を作ろうとしたと書いている。そう、世の中にあふれるわかりやすさへのアンチテーゼである。
現実は複雑だ、100%の幸せも100%の不幸せもない。多くの問題は“完全に”解決することなんてない。補助線を提案されて「これでわたしは幸せになれる」なんて思うなよ。現実の人生がそんなかんたんで、たまるかよ……。
それで、本のタイトルの話に戻る。
「なんでも見つかる」は文字通り。お腹が空いたら深夜でもUber Eatsで食べたいものが見つかる。寂しければSNSやマッチングアプリで話し相手が見つかる。暇ならNETFLIXやYouTubeでおもしろいエンタメが見つかる。資本主義が発達したおかげで企業たちが競争し、より安くより便利なサービスを提供してくれるからだ。
なぜ「夜」か? 夜は不安定な社会のモチーフではないか。資本主義社会は個人に目を向けるとまさに「一寸先は闇」のひじょうにあやうい場所である。何かの理由でお金がなくなり、安心して生活できる空間が明日急に失われてしまうかも。家族や友人とも離ればなれで、誰にも頼れないかも……。
そんな社会ではなかなか「こころは見つからない」。補助線を引いて、自分の心が抱える問題をとらえようとする。安らげる心の置き場を探そうとする。時間をかけて、言葉にして、他者とかかわって、なんとかやっていこうとする。でも社会と絡みあった複雑な現実で、問題は解決しない。
この本は心の問題解決を目指していない。なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない。複雑な現実に向き合うことそれ自体を書いた本だ。
「あいつは善いヤツか、悪いヤツか」という単純化は心の処理が楽だけれど、実際は「あいつは善いヤツでも、悪いヤツでもある」から難しい。
わたしたちはそういう複雑さのなかで生きていくしかない。複雑なことを複雑なままにしておくというのは、それを受け入れる余裕がないとできないことである。そういう意味で、複雑に生きることは幸福なのだ。
◆
かつてのゼミの時間、わたしたちがAかBかと議論を交わしていると安川先生はコーヒーを片手に静かに微笑みながらその光景を眺めていた。そして議論が一段落し、みんなの意見がAかBのいずれかにまとまったあたりで言う。
「ほんとにそう?」
ものごとの複雑性を問う言葉だった。AかBに決めてしまっていいのですか? どちらにも割り切れない部分を無視していませんか? という投げかけだ。
それをくり返してきたおかげで、わたしたちは複雑なままでいることに耐えられるようになっていったのだった。この本を読んでわたしはそのことを思い出した。複雑に生きることは幸福だ。
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