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『さよなら絵梨』読んで、強い女になりたくねー!と思った

 『さよなら絵梨』が出た日は読者たちのあらゆる言葉がでらァーっと世に流れ出していた。そんな反応を逆手にとって無意味化するような意地悪さとか、死を破壊ポイントとして扱うドライな態度とか「はー性格悪っ!!」と思わされるタツキ節大盤振る舞いのマンガに、私はしばらくニヤニヤした。

 メタにメタを重ねた構造や全編4コマ構成で飽きさせない展開力……のような漫画的すごさの話は他の方におまかせするとして、私は改めて作者の絵がいいなーとしみじみ思った。特に魅力的に見せたい女性はほんとうによく描かれていて「描きたい女を描いた」というのが伝わってくる。

※この先『さよなら絵梨』そのものとあんまり関係のない話になっていきますよ

 『チェンソーマン』ではマキマという最強女が出てくるが、今回の絵梨もかなりインパクトのある強い女だ。『ファイアパンチ』では妹ルナがそれにあたるのかもしれないが、藤本タツキ作品においてはこのような「主人公を魅了し、運命を変えてしまう女」がどうも重要そうだということが本作でずいぶん明確になった気がした。

 それで私は大体こういう「男が屈してしまう女」にメロメロになり、主人公と一緒に女の手中に堕ち……そうになるのだが、結局はいつも最後までその女に夢中になりきれずに終わってしまう。この現象はモテる女への嫉妬とかじゃなく(それもあるのかもしれないが)、たぶん「男との対比からどうしても逃れたい」というところから来ているんじゃないかと思っている。

 『チェンソーマン』で私が心の底からだいすきになれたのはレゼだった。レゼもデンジを誘惑する女だったけれども、マキマと違ってデンジに恋をしていたからだ。レゼにはデンジへの好意があり、敵とみなすことへの戸惑いもあった。兵器であったレゼは、ものすごく人間らしい欠陥を抱えていた。

 一方マキマや絵梨のような「相手に無関心で自分のことしか考えていないが、その溢れる魅力により意のままにしてしまう女」は作中で主人公の男を打ち負かすための最終兵器として機能する。彼女らには人間的な弱さや不足がなく、圧倒的に強い。「男が勝てない女」である。私はどうしても彼女らを人としてでなく女として意識してしまう。

 ところで、数年前に男性の先輩と酒を飲んでいて北川景子さんの話になり「北川景子は知的な強い女性って感じで、女の子に好かれそう」というようなことを言われたことがあった。私は北川さんに対して好き嫌いを考えたことはなかったが、その発言で今回と似たような引っかかりを感じたことを覚えている。

 “強い女性”というのは一般に「芯のある」「自立した」というニュアンスでほめ言葉として用いられ、私もこれまでに何度かそう言ってもらう機会があった。が、そのたびにモヤモヤした。女性の「強さ」を強調するとき、なんというかどうしても男性が基準になっているように感じてしまうのである。

 先輩の言う「強い女性は女性に好かれる」という感覚もわからない。(男性が守ってあげたいと思うような)“弱い女性”は、女性の妬みの対象になると思われているのかな……?と、このような受け止め方になってしまう。

 こういった考えは私の女としての自意識が過剰なのかもしれないし「じゃあ女性基準の強さって何?」と聞かれてもいい答えを持っているわけではない。ただこの「女性基準の強さがわからない」ことこそ、社会が男性用に作られてきたことを示唆している気もする。

 “抗えないほどの色気”とか“男まさりの強さ”で男を負かす女として価値を発揮するのでなく、できれば男とまったく無関係のところで、強くも弱くもないただの人としてありたい……。女がわざわざ強さを獲得しないまま、女としてでなく人として存在できないものか……。自分のなかにこういった思いが強めにあることを、今回の『さよなら絵梨』で再認識させられたのだった。

 こういう話をしておきながら、上で言った通り私は藤本タツキの描く最強の女にいつも魅了されるし、ちょっと憧れもするし、こういう議論を持ち出してしまう自分に「うるせーな」と思ったりもする。男性的なまなざしは私の思考にもめちゃくちゃに内面化されていると思う。それに、強い/弱いの問題はきっと男のなかにだってある。

 『さよなら絵梨』には漫画としてすさまじい力を感じた。既存の漫画の枠をサラッと超えていかんとする藤本タツキという人間の底知れなさには改めて圧倒される。でも私はどうしてもこういう男性的な視点が気になってしまって、その点で前作『ルックバック』のほうがスッと受け取れたのだった。

 作品における性の表象については映画や芸術評論のシーンで幾度となく議論されてきたことだし、作者本人も自覚がないわけはないだろう。作者が男なんだから男性的な視点になるだろと言われたら、まあたしかにという感じもする。

 男や女を「こう表象すべきだ/すべきでない」という指摘ではなく、いまある表現がこのようであり、私自身がこのように感じた……ということをとりあえず覚えておきたい。そして藤本タツキというものすごい漫画家の「それ以外の表現」も今後見られたらいいなと思う。

 クゥー!結局こういう文章も“強い女”のそれって感じになってしまうんだろうかー!!

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