原田マハ『デトロイト美術館の奇跡』を読む。

 この話は、アメリカの美術館で本当にあった話なのだという。
ある老人が、美術館コレクションを売却から救うために、寄付をした。
その寄付はささやかなものだったけど、老人の思いは奇跡のようなものだった。

その老人は、フレッド・ウィル。
妻を亡くし、一人で美術館に通う人だった。
もともと彼の美術館通いは奥さん、ジェシカが誘ったものだった。

奥さんが初めて美術館に行ったとき。
「結局、ジェシカは、出勤時間ぎりぎりまでDIAで過ごした。二時間くらいあれば十分だろう、と思って出かけたのだが、とんでもなかった。
まるで神秘の森の中に迷い込んだ気分だった。
ギャラリーからギャラリーへ、歩み入るたびに新しい発見があった。森の奥へと行くにつれ、見たこともない美しい花をみつけ出す。
そんな感じで、すっかり夢中になった。」

そんなふうにジェシカは、美術館に夢中になり、フレッドを誘って、フレッドもDIAに行くようになった。

「ーー アートはあたしの友だち。だから、DIAは、あたしの『友達の家』なの。
ジェシカは、そんなふうに言って、フレッドとともに『友だちの家』を訪ねることをそれはそれは楽しみにしていた。
何度となく来館するうちに、ふたりとも数ある作品の中でもっとも魅かれる作品がどれであるのかーー つまり、もっとも『気の合う友人』が誰であるのか、だんだんわかってきた。それがこの作品《マダム・セザンヌ》だった。」

そして、フレッドは、ジェシカとともに「キュレーターズ・ガイド」でセザンヌの奥さんオルタンスのことを知る。

「売れない絵を描いていたセザンヌの生活費は、その頃銀行家として成功していた父からの仕送りのみ。貧しい女性と付き合っていることを知られて勘当されては生きていけない、だから、オルタンスは長いあいだセザンヌの正式な妻にはなれなかった。父の晩年になって、セザンヌは、オルタンスと息子のことを打ち明け、ようやくふたりは結婚した。
このエピソードを、フレッドは、キュレーターが作品の前で解説をしてくれるプログラム『キュレーターズ・ガイド』に、ジェシカとともに参加したときに知ったのだが、そのときには、ずいぶん身勝手なことをするやつだ、と憤りを感じた。
ーー ちょっとひどいんじゃないか、セザンヌは。カミさんをそんなふうに扱うなんて、おれにはとうていできないな。
ところがジェシカは寛大だった。ーー あたしは、むしろセザンヌは正しいチョイスをしたと思うわ、と。
ーー だって、売れる絵を描いてなかったんだもの、仕送りを止められたら暮らしていけなかったんでしょう?
我慢して、持ちこたえて、彼は両方を維持したし、結果的に守り抜いたのよ。妥協しないで自分の絵を描くことと、愛する人との暮らし、その両方を。」

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フレッドは、DIAが所蔵するコレクションの中で、《マダム・セザンヌ》がいっとう好きだった。

私は、芸術と暮らしを守り抜いた彼女が絵の中から、デトロイトの奇跡をも起こしたような気がしてならない。

そんなふうにアートの力を感じたお話だと思った。

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