見出し画像

写真を撮っている

写真を撮っている。

携帯の写真フォルダには大体その時見た風景か、その時一緒にいた人の写真、その人と食べたご飯の写真が溜まっていく。

人の写真を撮るのが好きだ。人の笑った顔がたまらなく好きである。こう、目がふにゃってなって、顔をくしゃっとして口角を上げた私の友人たちの写真は、どんな写真よりもたまらなく美しくて、綺麗で、すごく価値のあるものだと思っている。
だから私は、その日あった人が極度の写真嫌いでない限りは、その人の写真を撮っている。一緒にいて笑っている顔、ご飯を食べて美味しい!と驚いている顔、ベンチに並んで座って夕陽を見つめる横顔、プレゼントを渡した時に喜んでこちらを見つめる顔。
あなたの表情ひとつひとつが大好きで、カメラに収めている。

でも、「人の写真を撮るのが好きだから」は、表向きの理由だ。

本当の理由を言う前に、私の中高の話をしよう。

私は中学、そして高校の記憶がない。中学の後半に重い精神疾患と診断され、高校に入った途端に大きないじめにあった。鬱に飲み込まれた私は、逃げるように自主退学して通信制へと飛び込んだ。そこでも、うまく馴染めなかった。高校を卒業した時、バックアップされていた高校時代の記憶を辿ると、それはもう吐き気を催すような気持ち悪さに襲われ、私はその吐き気に抗うように、高校時代の友人の写真、集合写真をもれなく全て消した。全部合わせても100枚程度だったと思う。
卒業して1週間経ち、ふと自分が通っていた、そしていじめられていた高校の前を通った時、私はそこでの生活を何一つ思い出せなくなっていた。きっと楽しい記憶もあったはずだ、皆と笑った経験もあったはずだ。でも、どうしても思い出すことを脳が拒否している。私は愕然とした。

そしてそれからしばらくして、中学、高校時代と唯一変わらず仲良くしてくれていた子が、ついに私と縁を切った。突然、連絡を全てブロックされたのである。前日までディズニーや旅行の話をしていた。
卒業して、彼女が大学に進学したての頃、2人で井の頭公園の桜を見に行った。そのことを思い出して、ふと写真アルバムを見返した。

花束の写真。
彼女が大学に受かったことをお祝いするためにサプライズで用意した小さな花束だ。彼女の好きな、オレンジと、笑顔の彼女によく似合う、ガーベラ。

スターバックスのテラス席での食事の写真。
そういえばこの時の新作、私がとても楽しみにしていたものだった。彼女と飲もうと意気揚々と注文したり、レジで言い間違えた彼女と笑い合ったりしていた。テラスの日当たりが良すぎて、何度も椅子の角度を調整したり、暑いのにずっと語り合っていた。

桜の前で花束を持った彼女が笑っている写真。
私のことをブロックしてからも、彼女はしばらくこの写真をアイコンにしていた。彼女の長い黒髪が風に靡きながら、マスク越しでもわかる愛嬌のある笑顔をこちらに向けている。この笑顔が大好きだった。

カラオケの「いぬのおまわりさん」の画面。
暑いから入ったカラオケボックスで彼女がふざけて入れた曲だ。私の前でそうやってふざけてくれるのが嬉しくて、撮った記憶がある。

カラオケの窓際で2人で写っている写真。
「明るいから光盛れする!!」とはしゃいでいた。

イヤリングをつけた2人の耳の写真。
「花束買ってくれたからお礼に!彩ちゃんシルバーのアクセが似合うよ!」と私に買ってくれたシルバーの花束のイヤリングと、シルバーリング。彼女が自分で買ったイヤリングをした耳と並べて、片目ずつ写しながら笑っている。彼女の言う通り私はシルバーの方が似合っていた。今でも大切に、そのアクセサリーをつけてはあなたの声を思い出す。

プリクラの落書きの中で頬を寄せ合う写真。
「これめちゃくちゃイエベとブルベわかりやすい!!」と大はしゃぎしながら写真を撮っていた。2人とも背が高いから精一杯屈んで写真を撮った。

カフェテーブルに並ぶラテの写真。
下北沢のおしゃれなカフェに立ち寄った時、2人でテラスに座りながらこれからの将来についてとても長い時間語り合った。「彩ちゃんの研究応援してるからね」と、まっすぐな目で言ってくれた彼女の表情が脳裏に焼き付いている。

この日が、私と彼女が会った、最後の日だった。
バイバイと手を振った彼女の後ろ姿、離れたくない、と名残惜しそうに細めた目。全部鮮明に思い出せた。

少し前の私なら、縁を切られた勢いで全て消してしまう写真たちだ。でも、彼女との記憶を無かったことにしておきたくなくて、彼女の笑顔を忘れたくなくて、彼女の声を、仕草を、少しでも覚えていたかったから、消さなかった。
1週間ほど経ち、彼女のLINEのアイコンは変わっていた。


私はその日から、会った人の写真、会った人の隣で見た景色、会った人と食べたもの、会った人と見た何かを極力写真に収めるようにしていた。
きっといつか、その人にとってはいらない記憶になってしまうかもしれない。私だけが思い出に浸る運命だってあり得る。
でも、それでも、私は人の隣で過ごしたキラキラした時間を忘れたくなかった。ずっと孤独じゃなかったことを忘れたくなかった。

私が写真を撮り続ける本当の理由は、
「大好きな人の隣で見た景色の記憶を消さないため」
である。
私の写真がないと風化していく私の記憶。私の前で見せてくれたその表情を忘れたくなくて、私はいつも衝動的にカメラを構えてしまう。

でも、バックアップはどれもとっていない。携帯の機種変更とか、バグとかで、フッとなくなってしまっても、ああ、そうだね、と流せるように。執着しないように。これは自分への枷だ。私が過去に執着しないための、戒めだ。

いつか君が私のことを手放す時、ああこんな顔を見せてくれてありがとう、と静かに微笑めるようになりたい。だから、今だけはその素敵な顔をもっと私に見せて。

私の中であなたが、太陽として存在した記憶。
その温もりを閉じ込めようと、シャッターを切った。

いつ、これが「2人の思い出」から「私の記憶」になるかは、わからないけれど。そんな一抹の恐怖を感じながら、そっとお気に入りボタンを押して、何事もなかったかのように向き直った。

「次どこ行こっか?」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?