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祝福

毎日、同じようなことばかり考えている。高すぎる理想と、そこには永遠に届きそうもない自分のこと。

果てることない、嘆き、悲しみ、不平不満ー。



気晴らしに今の自分とは大きくかけ離れた世界、例えば、アカデミー賞主演女優賞を受賞している自分を想像してみる。最高だ、と思う。

でも、当たり前だが、それは選ばれたごく一部の人間のものであって、多くの人間が手にできるものじゃない。

だからこそ価値があると言える。

では、選ばれなかった人間はどうすればいいのか。

色々語弊があると思うが、多くの人間、ことさら女性にとってのアカデミー賞主演女優賞に匹敵するものが、結婚であり結婚式なんだろうな…と思う。

私事全開のSNSで「私事ですが...」と、わざわざ前置きをしながら用意周到に結婚報告をする。祝福で溢れるコメント欄。一生に一度の晴れ舞台。レッドカーペットの上を歩くことができない足で歩くバージンロードに、オスカーを手にできない薬指にキラリと光る指輪。一張羅にすらなれない、レンタルのウェディングドレス。

自分には大した才能がなくても、社会的成功をしなくても、いい相手と結婚できたら勝ち。いや、この際、DV男でもモラハラ男でも、結婚できないよりはマシ。

オスカーを手にすれば人間としての成功は掴めるけれど、結婚できなければ女としての幸せは掴めなくて、結局はみじめなままなんだー。物知り顔で誰かが言う。

私は、そんな世の中が悲しい。いいや、そういうよくわからない圧力に屈して、結婚できない自分には何の価値もないだとか、社会的成功ができないなら、なおさら結婚に逃げるしかないだとか考えてしまっている自分自身が、何より悲しい。

アカデミー賞主演女優賞に手が届かなくても、結婚なんかできなくても、今この瞬間、祝福されたい。

何かを成し遂げてからじゃないと祝福されないなんて、おかしい。

今の自分が祝福されないなんて、絶対におかしいー。


たぶん、私は悪い夢を見ているのだと思う。


目覚めたら、あの迫真の演技はまさにアカデミー賞主演女優賞だったと満場一致の拍手の中、オスカー像を手に感極まってスピーチしていることだろうし、最愛の夫と共に喜び合う姿がパパラッチされ、その幸せぶりが全世界に知れ渡っていることだろう。

眠って見る夢、届かない夢、現実という名の夢ー。

それが悪夢だろうと、幸せな夢だろうと、いつか終わりがくるのなら結局同じことだろう。 

何かを得ることで満たされるなら、それは一時のことだろう。

私達は皆、祝福と共にこの世界に迎え入れられたはずなのに、何故、時に他者を蹴落とし自分自身を痛めつけてまで祝福に値する人間になろうと必死なのか。

こんな世界で、100年生きて祝福されるぐらいなら、早々と死んで親不孝者だと言われたい。

この世界の全てが、心底くだらないと思う。

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