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圧倒的にスゴイ人とは

多くの人々の中には「有名人=スゴイ人だ!」という刷り込みがあるのではないでしょうか?

経歴や肩書き、その人のバックグラウンドにとらわれて、勝手に『スゴイ人だ!』とビビって、自分なんてちっぽけだと萎縮してしまったことのある人は多いと思います。

その人の本質とは関係なく、その人の表面だけを見てスゴイ人だと恐れてしまう。これは植え付けられたある種の「思考の癖」と言えます。そして経歴や肩書きで測られた、『スゴイ人だ!』という彼らのイメージは、自分が勝手に作り上げた虚像に過ぎない場合が多くあります。

ではここで、私が思う本当にスゴイ人とは・・・?

それはズバリ、自分の本質と繋がって生きている人です。

その特徴としては、

  • その人らしさ全開で、とにかくパワフルで自然体。

  • 本質を見抜く感性が磨かれている。

  • 人目を気にすることがなく、プレッシャーをもろともせず、自己を表現することができる。

  • 自分に正直である。

  • 自分のことも、世の中のことも、全てをあるがままに見て受け入れることができる。

他にもありますが、今パッと思いついた特徴を書いてみました。

本当にスゴイ人というのは、自分を大きく見せようとしたりはしません。実際に会うと、びっくりするくらい気さくで謙虚で、普通な人のことが多いです。一緒にいると自分が小さく感じるどころか、自然体でいられて、幸せな気持ちになります。

そして、スゴイ音楽家の大きな特徴は・・・

  • 圧倒的に人とは違うサウンドを持っている。

  • サウンドの中にアイデンティティが存在している。

  • その人らしさ全開で、エネルギーに満ちている。

ということです。

「世の中、上手いけどよくある演奏や、誰かを真似た聞いたことのある演奏がほとんどだ。その他大勢はつまらない。僕たちはそこから抜け出て、圧倒的に違う!を目指さなくてはいけない。」

これはイリヤンがいつも言うことです。

圧倒的に違うとは『私たちが本来の私たちである』状態のことです。

圧倒的に違うサウンドに出会うと感動します。
その人がその人らしい、ということは大きな感動を生みます。
その人がその人らしい、ということには大きな価値があるのです。

だからこそ、私たち音楽家が追求するべき道は、私を生きるということです。
私を生きるという道に音楽がある、とも言えます。
他の人は関係ないのです。

ここで、自分らしくあるというと、なんだか楽な道のように思うかもしれません。

それは、私たちが誤った努力をたくさんしてきてしまったからです。人に認められるための努力と、自分らしくあるための努力は全く別物です。

世の中には、目に見えるカタチあるものと、そうでない本質が存在している。
多くの人々は、カタチにこだわり、カタチを追い求める。
けれども、本質がなければカタチは存在すらできない。
私たちの肉体はカタチあるもの。
そして心と精神が本質。
優れた音楽家とは、カタチある肉体と、本質である心と精神とが、しっかりと繋がっている人。
バランスの良い人。調和のとれた人。

技術とは、体と思考とマインドを正しく使うためのものです。
つまり、カタチあるものと本質を繋げるもの。

正しい思考を選び、心と精神を整えること、そしてカタチある体を正しく使うこと、その両方が伴わなければ、良い演奏にはなりません。

技術があるから、自分と一致したサウンドを生み出すことができるのです。

だからこそ音楽家は、『技術』を磨くこと、つまり、自分のサウンドを磨いていくことを追求していかなくてはいけない。

『技術』とは、自分らしくあるために必要なものです。自分と向き合って、技術を磨いていくことが、自分がより自分らしくなっていくことに繋がっていくのです。


そのためには覚悟を決めて、自分を生きる道にシフトしていかなくてはいけません。はっきり言って最初はとても孤独です。でも、孤独な時間こそが成長のためには必要なのです。

誰かとつるんで、みんなとぐちゃぐちゃお喋りをして、みんなとアクティビティをして、みんなと同じようなことを考えて、同じようなことをする。

もっと自分らしくなっていくためには、そういうことをやめていくことも必要です。でもきっと、自分の道を生きると決めた人にとっては、みんなと一緒なことはつまらないことになっていくと思います。

結局、全ては自分の選択です。


私らしいってなんだろう?

今はまだわからなくても良いです。
そのために、自分と向き合って技術を磨いていくのです。
全ては、本来の私へと還っていくためのプロセスです。

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