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「点・線・面」

建築家が書く文章というとすぐに思い浮かぶには磯崎新で彼のそれは哲学者の記すものの様にも読めてその作品との比較で興味深いものであった。
それ以降ではそんなに気もしていない中、書店で隈研吾の書籍を目にする事が多い事に気づいた。彼は新書も数冊上梓しているし題名も「負ける建築」など耳目を引くものも多く、書く事で伝えたいものがあるのだろうなと感じ、その中から選んだのが「点・線・面」だった。
隈研吾といえば今や世界中でも最もオファーが多い建築家の一人であるが、その彼が世に出るきっかけがバブルが崩壊し東京に事務所を構えながらも東京からの仕事が全くなく、地方へとその場を移す中で氏の潜在的な建築に対するアプローチを具現化するのに適した環境があったという事のようだ。
1980年代は「ポストモダン」華やかなりし時代でかの磯崎新を筆頭に巨大かつ斬新なデザインの建物が所狭しと建てられた。その斬新さは従来の建物とは一線を画しそこだけが異空間のような雰囲気を与えていた。そうした傾向を最も強く表してたのがザハハディドだったのだと思う。隈研吾はこうしたコンクリートや鉄をベースに建てられる建築物には違和感をずっと抱いておりコルビジェやミース:ファンデル・ローエが主流であった建築家においてはむしろあまり語られることのないブルーノ・タウトに近しいものを感じていた様だ。
そうした時代背景から予算が書きられた中で建築を進める際の素材として「木」に対する志向を強め、現場ごとの作品を形にするために地元の職人さん達と推敲を重ねながら今までにないものを創り上げ、それが評価へと繋がっていった様だ。
折しも世の中は環境との共生が避けられない状況になり、その中で素材としての「木」が注目を集めた事も彼を後押ししたのだと思う。
しかし、彼の建築に対する哲学はそうした外面的なものも確かに追い風にはなったであろうがここの環境との関係性に重きを置く事で街との持続可能性を高めた事が大きいと感じた。学生時代に御茶ノ水にに磯崎が設計した主婦の友ビルがあるが今やそんな事も忘れ去られてしまっている現実を目にするとその思いを強くする。

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