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運動と私

小学生の頃、運動神経が割と良い方だった。けして抜群ではない、割と良いという程度だ。
リレーの選手に選ばれる程ではないものの、短距離走はクラスで速い方、跳び箱も授業で扱う一番高い高さまですんなり飛べていたし、逆上がりも難なくできていた。鉄棒もマット運動も縄跳びも水泳も、何なら先生に呼ばれてみんなの前に出てお手本にされることも多かった。
だからといって、体育の授業が好きだったかというと、そうでもない。

鉄棒や縄跳びといった、個人で完結する種目は、どれも気負わず楽しく取り組めていた。良くも悪くも元来真面目な性格なため、手を抜くなんていう発想は微塵もなく、より難易度の高い技を体得することに夢中になっていた。気の合う友達と休み時間も放課後も鉄棒を陣取り、今にして思えば気が狂ったかのようにとにかくグルングルン回っていた。それが純粋に楽しかったのだ。
なんというか…ザ・昭和の小学生。

ちょうど私が小学生の頃にJリーグが開幕し、そこからはとにかく皆サッカー一色だった。当時はまだ珍しい学校外のサッカークラブに所属する本格的な子も現れたり、皆当然のように贔屓のJリーグチームがあったりした。
私は専ら観戦側だったが、やはりサッカーに熱を上げていた。東京在住ということもあり、選手もチームもヴェルディ川崎がダントツの人気だった当時、私はドイツのレジェンド選手リトバルスキーに夢中だった。未だにサッカー観戦が好きなのは、間違いなくこの頃に培われたマインドだと思う。

テレビでプロのサッカーを観たり、周りの同級生がボールを蹴って走り回るのが日常となると、なんだか自分もできるような気がしてくるから不思議だ。放課後、サッカークラブに通う友達に教えてもらいながら、見様見真似でリフティングをしたりした。すんなりとはいかないものの、割と運動神経が良く、できるまでひたすら練習に打ち込む性分の私は、10回程度はすぐにできるようになった。

それだけの人気スポーツだったからなのか、ついに学校の体育の授業でもサッカーをすることになった。
昔から根っからの小心者で慎重派の私は、基本的に、はじめてのこと、知らないことに臨む際の不安と心配が尋常ではなく、それを少しでも和らげるために、とにかく事前情報を頭に入れて全容を把握してから臨みたいタイプだった。
しかしサッカーは大好きで観ているからルールもわかるし、なんならリフティングだってちょっとできるようになったし、と楽しみでしかなかった。私だけでなく、皆どこかウキウキしていたのを覚えている。

そしていざ授業が始まると、皆夢中でボールを蹴った。後半は女子生徒を半分に分けての試合形式。運動が苦手な子だってたくさんいる普通の小学生の体育の授業なので、試合のレベルなどというものは無いに等しい。当然だ。それでも、見様見真似でなんとなく固まらずにスペースを空けてみたり、できないなりに必死に声を出し走り回っていた。
あっという間に時間が過ぎ、試合終了。授業とはいえ、はじめてのサッカーの試合に充実感すら覚えていた。私だけでなく、皆どこか満足げな表情を浮かべていた。

そんな矢先、どこからかすすり泣く声が聞こえてきた。そちらの方向に目をやると、友達に肩を抱かれながら泣きじゃくっている女の子がいた。ケガでもしたのか、あまり親しくはない子だったが遠くから心配の眼差しを送った。どうしたのだろう、大丈夫かな。人前であんなに泣くなんて、ただ事ではないのだろう…他人事ながら心配が募った。さっきまでの楽しかった充実感は、一瞬でどこかに消えていた。

後で人づてに聞いたところ、彼女は試合に負けたことが悔しくて泣いていたという。サッカークラブに通う、少し気の強い子だった。サッカーが上手な自分のいるチームが、自分の思うような試合運びにならず、欲しいところにパスももらえず、結果負けたことに納得がいかず泣いていたのだ。
今にして思えば、そこで悔し泣きできるくらい彼女は真剣にサッカーに向き合っていたのだろうとか、プロになるような人は小さい頃から人一倍負けず嫌いだと聞くよな…なんて思えなくもないのだが、当時の私にそんな思慮深さはあるはずもなく。

驚くことに、その後彼女はしばらく泣き続けたあと、次の授業中ずっとふてくされていた。先生の話もろくに聞かず机に突っ伏し、周りの友達が心配して声をかけるのもお構いなしに。
何があったにせよ、そんな彼女の一連の態度が当時の私には考えられなかった。友達も含め周りの人に気を使わせまいと無意識のうちにそうしている小心者の私にとって、とにかく衝撃だったのだ。友達の優しい声かけもさることながら、先生にもあんな態度を取るなんて。
色んな人がいると理解し、社会とはそういうものだと頭ではわかっていても、正直受け入れ難かったし、そんな色んな人がもっとたくさんいる社会に出て関わり生きてくなんて、この先つらすぎる…そこまで想像し勝手に絶望していた。
そして、この日を境に私の中の団体競技への苦手意識がより顕著なものになったのだ。

小中高と学生生活を送る中で、全員参加の球技大会は何度か訪れるが、毎度やりたくない気持ちを押し殺し参加していた。いっそ骨折でもしたら出なくて済むのにな…。応援だけなら本当に楽しいのに。骨折といった割とヘビーな既成事実があればと考えるあたり、良くも悪くも真面目な性分が垣間見れて自分でも笑ってしまう。ただサボっている人もいるだろうに。
さすがに高校生ともなれば、運動部に所属する子が初心者に優しく教えてくれてチームワーク良く、みんなで楽しく練習を重ねる。勝ちにこだわり泣きじゃくる人もいなければ、ミスは許されないといったピリついた空気は一切ない、楽しい行事だ。それでも私は、とにかく少しでも上達して足をひっぱらないように、勝ち進み皆が盛り上がるこの空気を壊さないようにしなければ…と黙々と練習し、楽しむ余裕は無いままだった。

そんな経験を経て大人になり、スポーツは観るに限ると心から思う。すっかり運動しなくなって久しいのだが、元々は運動神経が割と良い方だったという自負がある。
30歳になったとき、ふと、逆上がりってまだできるのかな?と疑問が湧いた。独身で子供のいない私は、気軽に公園に行くことがない。
偶然家族と出かける機会があった際、一瞬で良いから帰りに公園に寄りたいと懇願し、不審がる家族をよそに、数十年ぶりに鉄棒を握った。

久しぶりの逆上がりは、見事成功。
子供の頃には感じられなかった重力や腹周りの肉の存在をひしひしと感じたものの、一回で難なく成功した。
そして、まだまだいけるじゃん私…という謎の自信が湧いてきた。
それからというもの、毎年誕生日を迎えるたびに、そそくさと近所の公園へ行き、一人密かに逆上がり検証をしている。40歳も無事に成功した。軽やかな足取りで公園をあとにする。これができなくなった時のことは想像したくない。









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