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『一瞬の夏』を読んだ日はいつだったか。

本が、好きである。世の中には全く本を読まない人もいる。
私は、本が好きではあるが大層遅読であり、本好きの人の中ではおそらくほとんど読んでいないうちに入るだろう。
会う度会う度別の本を読んでいる友人を見ると尊敬する。
頑張らねば、とも思うが、そもそも本を読む事を頑張ろうとしている時点で何かおかしいのかもしれない。
とにかく、私は「本は読む方だけど胸を張れるほど読書家ではない」というくらいの、中途半端な本好きである。

『一瞬の夏』は沢木耕太郎氏のノンフィクションールポルタージュのような作品で、「カシアス内藤」というボクサーについて描かれている。
一度表舞台から去ったボクサーが再起をかけて、試合の相手だけでなく様々な人や事と戦うというストーリーは、ボクシングという競技にあまり関心のなかった僕でも楽しむことができた。是非、一読をお勧めしたい。

この本を読んだのは大分前のことであると記憶している。3年、若しくは4年になるかもしれない。今は居酒屋になってしまった店で定食を食べている時に友人にこの本の話をした記憶が朧げながらあるのだ。
確か、氏の代表作である「深夜特急シリーズ」を読むより先に私は、「一瞬の夏」を読了したのである。
その本の事を、私は今日、数年ぶりに思い出した。「一瞬の夏」という題名、その内容と、先日閉会式を迎えた東京五輪がどことなく重なってしまったのだ。
まさにーーー少なくとも私にとっては、この2週間は一瞬であった。

2013年、東京は32回目を迎える五輪の開催地に決定した。当時の私はどこか冷めていて、画面の中で歓喜に湧く人々の事を「お気楽でいいなあ」とまで思っていた。
あれからもう8年も経ってしまったのかと驚く気持ちと同時に、その時の自分を少し恥じた。
当時の私は殆どスポーツに興味がなかった。今でこそプロ野球チームを応援し、日々野球速報や結果を気にしながら過ごしているが、2014年頃の私は精々友人の影響でサッカーの話題についていこうと有名選手の名前を数人知っているだけであった。
だから、五輪もそこまで興味がなかったし、ロンドンの時は当時住み込みで働いていた山小屋でなんとなくやっている事を知り、リオでは話題になった閉会式の事くらいしか知らないほど関心がなかった。
「次は東京で」と言われても、なんとも思わずにただ「そうか、五輪が来るのだな」という程の心持ちであった。

いや、「当時」と先程書いたが、2020年になってもまだ、私は関心を持ててはいなかった。それは、「中止するべき」という声や「カネの無駄である」などの批判的な報道、ひいてはそれに影響された世論に流されていたのかもしれないが、運動部でもなかった私には「遠い世界のこと」の様に見えていたようにも思える。
それから一年の延期を挟んだ後も私の心に大きな変化はなかった。
果たして批判的な報道は更に熱を増し、度重なる不祥事や次々に出てくる問題であったりと、世論は五輪に対してより厳しくなっていった様に思えた。
それは、日本社会が失った数十年が作り上げた鬱屈とした空気をより助長させるようでいて、加えて件の感染症による自粛生活がそのどんよりとした重たい雰囲気をより一層息苦しくさせた。
長く続く先の見えない日々には、平気な顔をしている様でいて、私自身も少し疲れていたのだと思う。インターネットで目にする意見はどれも正しく、それでいて間違っている様であった。
マスクをしたまま迎えた2度目の夏の息苦しさは、前回とは比べものにならなくなっていた。

そんな状況の只中にあった東京の暗闇も、私の心も、五輪の花火は切り裂いた。
無観客での開催ではあったが、時差のないまさに「今」、自分の知っている場所で闘うアスリート達が、純粋にかっこよく思えた。
気温も天候も、自分が今まさに体感しているものと画面の向こうの彼等と同じであるという事実は、当たり前であるはずなのに不思議で、胸を打った。
飲食店で酒を片手に応援する事も、会場にいってその熱を感じる事も叶わなかったが、それでもその興奮はたしかに伝わったのである。
ルールを知らなかった競技、今回初めて採用された競技、どれも面白かった。北京以来の復活となった野球では、普段敵同士である選手が一つのチームとなって一丸で戦っており、プロ野球ファンとしてはたまらなかった。
連日速報される金メダル獲得のニュース、日本は今大会でアメリカ、中国に次ぐ27の金を獲得した。その快進撃は私の中の鬱屈とした空気をさらって、台風一過の空の様に、晴々とした気持ちになった。
もちろん、全ての批判が的外れだとは思わないし、解決しなければならない問題は尽きない。しかし、私は間違いなくこの五輪から良い影響を受けた一人である。

先程から野球野球と言っているが、私が今大会で一番興奮したのは実はロードレースだ。先に断っておくが、もちろん野球日本代表の金メダルはお見事であるし、変則的なトーナメントを文句なしの5戦全勝で勝ち抜いた事は、プロ野球ファンにとってはこれ以上ない吉報であった。
「優勝候補」と呼ばれ、次回大会での非開催が決定している野球競技にとって、地元日本での金メダルは何ものにも代え難いだろう。
その上で、私は「ロードレース」を推したいのだ。
「ロードレース」というと、欧州のスポーツであると思われるだろう。それは間違いではない。複数日をかけて闘う「ステージレース」は、アメリカ、オーストラリア、UAEなどでも開催されているが、「グランツール」と呼ばれる主要3レースはイタリア、フランス、スペインと欧州の独壇場である。
つまり、日頃私が観るレースは殆どが欧州を舞台にしたもので、背景には歴史的建造物や郊外の田園風景などが映っている。それが、今回大会では見慣れた風景だったのだ。
大集団が走る後ろにはよく知った日本語の看板、よく見るような形の民家、アスファルトの路面。1週間前までパリのシャンゼリゼ通りを走っていた選手たちが、日本の道路を走っているという事実は私を興奮させた。
レースのコースも非常に良かった。実は日本でも「ツアーオブジャパン」というステージレースは開催されているのだが、道路使用許可の問題で周回コースが多く今回の様に長い距離を走ることはないのだ。
全行程230キロ超、獲得標高4000メートル超えのコースレイアウトは本番フランスのレースに勝るとも劣らないタフなものだった。レースの内容については長くなってしまうのでまた別の機会にまとめたいが、日本でもこのように立派なレースが開催できるのか、と私は感動したのだ。

他にもスケートボード、スポーツクライミング、3x3などの新しい種目たちは見ているだけで時代の変化を感じることができたような気がした。
私は、この2週間で数年分のスポーツを観たのではないか。そう考えると、名残惜しくはあるが四年に一度という開催間隔は丁度良いのかもしれない。
閉会式はリアルタイムで見ることができなかった。そして、次に東京に五輪が来ることはあるのかと少し淋しくなった。前回は1964年。60年後と考えてもその頃には私はすでに80代である。
もっと、最初から前向きに楽しめばよかった、と。後悔は先に立たず。私は、今更になって思った。
街中にはボランティアと思われる人たちも多くいて、彼らを見るたびに尊敬の念を送っていた。これだけ批判されているなかでよくやってくれていると、小さな感謝をしていた。
同時に、私にもその機会がなかったわけではないと考えると、つくづく未熟であった自分を恥じた。決して体力のある方ではないが、20代の今のうちであればおそらく力になることができた。
あまりにも遅すぎる気づきであった。彼らの青いユニフォームは眩しい。

開会式の直前になって、ようやく私はこのお祭りを純粋に楽しもうという気になったのだ。それからの2週間は、一瞬であった。
勝利を手にし喜ぶ選手、敗北を喫し涙を流す選手。その様がどこか沢木氏の文と重なる。
この夏の暑さがまだ続くうちに、もう一度『一瞬の夏』を読みたいと思った。

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