アパートメント紀行(10)
リスボン #3
真新しい服を着て、今日はツアーバスに乗ってみようと思い、部屋を出てエレベーターを待つ。二基あるエレベーターの、先に来た左のエレベーターに乗り込んで、市街地の地図を眺めながら鼻歌を歌い、一階へ到着するのを待っていると、奇妙な音が聞こえた。
ギギー、キュルルルル。
ワイヤーの軋むような音がしたかと思うと、エレベーターがジェットコースターのように揺れ始め、立ってはいられないほどの衝撃が走った。
ガチャン、と音がして、揺れが突然止まる。
ハッとして、嫌な予感に包まれて、しばらくは何が起こったのだろうと耳を澄ませていたのだけれど、静まり返ったエレベーターの中、これはもしや、エレベーターに閉じ込められてしまったのだと認識するまでに数十秒かかった。
私は生まれて初めて、エレベーターの電話マークのボタンを押した。
何度も何度もビービーと押していると、どうしましたかあ? とのんびりした女性の声が聞こえてきて、エレベーターが止まって中に閉じ込められているから助けてほしいんですというと、オー、ちょっと待ってネ、といったきり、たどたどしい英語を話す女性の声は聞こえなくなった。
エレベーターの中は不気味なほど静かになり、しかし電気が消えることはなかったので落ち着いていられた。もし、古くて狭いエレベーターだったら、少しパニックになっていたかも知れないが、広くてきれいな明るいエレベーターだったから助かった。
今、どの階辺りにいるのだろう。私が乗ったのは七階、どれくらい乗っていただろう。私は、パニック映画のシーンにあるように、扉をこじ開けてみるべきかと思ったり、天井を開けて脱出すべきなのだろうかなどと考えていた。そして、エレベーターの扉の向こうが、ガヤガヤと騒がしくなってきたことに気づいた。
アーユーオーライ? 扉の外から男の人の声がする。大丈夫です、といってみる。多分、エレベーターの中には監視カメラがついているのだろう。マダム、お名前は? と聞かれる。
外の声が、私はリカルドです、もうすぐ扉は開きますから安心していてください、という。その時、静かだった箱が、突然また揺れ始める。外の声が一層騒がしくなる。
箱の中に一人で閉じ込められ、揺さぶられ、私はどうなるのだろうと思っていたが、不思議と恐怖感は湧いてこなかった。エレベーターに閉じ込められたからといって死ぬことはないだろうとタカをくくっていたし、私は逆境に強い。こういう状況を逆境というのかはわからなかったけれど、箱の外の声は、私に話し続けるよう促してくれていたし、見えない相手と大声で英語を話さなければいけないことが、私の目下の大変なことだった。
あと三分で扉は開きますからね。その台詞をリカルドさんが五回くらい繰り返した辺りで、さすがにちょっと切羽詰まってきた。なぜなら私の冷静さとは裏腹に、扉の外の人々のテンションが、どんどん高くなってゆくからだ。
扉が開いた時、私はどんな反応をすればいいのだろう。
だんだん、そればかりが気になってきた。出番待ちをしている新人お笑い芸人のような気分だ。私は大袈裟なリアクションをすることが苦手なのだ。どうしよう。
ちょっと落ち着こうと、広いエレベーターの隅で体育座りをして考える。扉が開いた瞬間、大袈裟に喜んでみせて、首を振りながらありがとうとみんなに抱きつくべき? それともふらっと倒れてみる?
そんなことを本気で悩んでいると、エレベーターが、まるで姿勢の乱れを正すかのようにガタンと大きく揺れて、突然、しゅるるる、と扉が開いた。扉の外には、五、六人のホテルマンが待機していて、扉の中に座っている私を発見し、わあ、大丈夫ですか、と全員で駆け寄ってきて立たせようとしてくれる。
あ、大丈夫です、と私は一人で立ち上がると、聴衆の期待に応えるべく、ああ、びっくりしました、こんなこと初めての経験で恐ろしかったわ、助けてくれてありがとう、といってみた。
みんなは、そうだろうそうだろう恐ろしかっただろうと頷いたりポルトガル語で労わってくれたり、多分故障の言い訳をしている人もいたとは思うけれど、ずっと根気よく話しかけてくれていたリカルドさんが一歩前に出て、わかりやすい英語で、私がリカルドです、と握手をしてくれた。
そして、私がリカルドさんの手を放すと、思っていたより簡単にその場は解散となった。
気を取り直し、さあ出かけようと私がロビーを歩き出すと、リカルドさんともう一人のベルボーイが追って来て、こういうことは、大丈夫だと思っていても結構ショックを受けているものだから、景気づけに是非一杯飲んでくださいと、私をバーへと連れてゆく。
いやいや平気です、といってはみたけれど、駄目ですよ、という四つの潤んだ瞳に説得されて、私は高級そうなホテルのバーの敷居をあっさりとまたいだ。
ふかふかのソファに座らされ、何でも好きなものを頼んでくださいねといわれ、少し迷ってウォッカトニックを頼むと、事情を聞いたらしいきれいな女性のバーテンダーが、これ、プレゼント、といって、ウォッカトニックと一緒に、高級そうなお皿に乗ったチョコレートを持ってきてくれた。
大丈夫だと思っていても結構ショックを受けているものだから、というリカルドさんの言葉に妙に感心し、その言葉を自分の人生に照らし合わせながら、私はゆっくりとウォッカを飲む。
これまでの人生で起きたショックな出来事に、私はちゃんと対応したことがあっただろうか、景気づけだけはやっているかもなどと考えていると、窓際の席で新聞を読みながらウイスキーを飲んでいた白髪の老人が、エレベーターに閉じ込められたんだって? 君はチャイナガールか? と聞いてきた。
チャイナでもガールでもないと私が答えていると、リカルドさんがやってきて、何杯飲んだっていいんですよ、ホテルの奢りですからといって、ニコニコと笑いながら、ナマステーと合掌をして去って行った。今度はインド人だと思われている。
朝からウォッカを飲んだせいか、一気にアルコールが回り、私は非常に愉快な気分になってきた。ロシア人だという富豪そうな老人に軽快に挨拶をして、バーを出てロビーに出る。
玄関で待機しているドアマンたち全員に心配されながら、どこへ行くのかと聞かれ、ツアーバスに乗ってみようと思っていると答えると、乗り場はあそこだよ、二日間乗り放題のチケットがお得だよ、あんまり遅くならないように帰ってくるんだよと、やさしい言葉と笑顔に見送られて、私は少し恥ずかしくなりながらホテルを出る。
注目されていることが面映ゆく、足早に公園に入り、自分の顔が火照っているのはお酒のせいだろうかと考えながら、ツアーバスの発着所へと向かった。
二日間乗り放題のチケットを買い、西へ向かうバスに乗り、運転手にイヤホンを渡されて、屋根のない二階席へ。前方の席を占領している体格のいい陽気な一団の後ろに座り、前の座席の裏についている差込口にイヤホンを差し、差込口の横にあるボタンを適当に押していると、日本語の音声に行き当たった。七ヶ国語対応だというバスに一人で乗っているのは私だけだったけれど、各国の観光客が話しかけてくれるから、団体旅行者気分になれた。
晴れ渡った空の下、一杯のウォッカで気分が高揚している私は、サングラスをしないと目を開けていられない強烈な陽射しを燦々と浴びながら、日本語ガイドつきでリスボンの街を堪能する。
しばらくすると、丁寧過ぎる日本語のガイドに辟易してイヤホンを外し、街の喧騒と風の音を聞きながら坂の街を眺める。ヴァカンスシーズンが始まったのだろうか。カメラを持った観光客がたくさんいる。みんな、パナマ帽を被っている。土産物屋の店先に、パナマ帽がたくさん並んでいる。ひょいと一つ、車窓から手を伸ばせば盗めそうだった。
川沿いを走るバスは、ゆっくり走る路面電車を追い越し、乗客たちの帽子は何度も風に飛ばされそうになる。おしゃべりに夢中なスペイン人の一団が、まるで私のことも家族の一員のように扱ってくれるのが嬉しい。明らかに酔っているおじいさんと、彼のお喋りにいちいち茶々を入れるおばあさんの早口に、家族たちは笑いながら、全くうんざりするでしょうというように肩をすくめて私に同意を求める。何を話しているかなんてさっぱりわからなかったけれど、陽気は伝染する。彼らが大声で笑うたび、私もつられて声に出して笑ってしまう。
十六世紀に造られたという荘厳なジェロニモス修道院が見えてきて、バスが停まる。そのバス停でほとんどの人が降りてゆく。スペイン人の家族たちに、あなたは? というようなジェスチャーをもらったけれど、私は今日はずっとバスに乗っているつもりだったので、首を横に振り、感謝を込めてアディオス、といってみる。
バスを降りた家族がみんなで手を振ってくれるので、私も大きく手を振り返す。きっと今日の星占いは、人に恵まれますと書いてあるに違いない。
ジェロニモス修道院を通り過ぎて左折、バスは、テージョ川に突っ込んでいくのかと思うほど真っ直ぐに川に向かい、ベレンの塔や発見のモニュメントがある川辺のバス停に停まる。そこから今度は陽気なイタリア人の一団を乗せて、市街地へ戻っていく。
バスは始点へ戻り、私たち降ろし、次の一団を乗せる。私はエドゥアルド七世公園の隅にあるカフェで、チュロスとコーヒーの昼食を取り、今度は東へ向かうツアーバスへと乗り込む。
一七五五年のリスボン大地震の際、奇跡的にほとんど被害を受けなかったというアルファマ地区の古い街並みを過ぎると、街路はどんどん近代的になってきて、二十世紀末に開かれたリスボン万博の跡地にある国際公園へとバスは近づいてゆく。
さっき行った西の、エンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称えて造られた大航海時代の記念碑であるというジェロニモス修道院から、今いる東の、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見五百周年を記念して開催された万博の跡地の公園まで、車で走るとあっという間の距離なのに、それらが造られた時代は五百年も違っている。
万博の跡地には、ヴァスコ・ダ・ガマ・ショッピングセンターという巨大な商業施設があり、タワーやパビリオン、水族館などが、広々としたテージョ川に面して立ち並んでいる。バスの乗客は、ショッピングセンターのバス停で入れ替わり、ずっと乗り続けているのは私一人だけとなる。
ホテルへ帰ると、朝のエレベーター騒動で顔見知りになったドアマンやベルボーイやフロントの人たちが、明らかに昨日より親密な笑顔で、お帰りなさいと迎えてくれる。中には、どこへ行ってきたの? と聞いてくれる人もいて、バスに乗ってぐるぐるリスボンの街を回ってきたと答えると、それはいいアイデアだ、まずは街の地理を把握しないとね、とウインクをしてくれる。
部屋へ戻りベッドに寝転んでいると、誰かが部屋のチャイムを鳴らす。ドアスコープを覗くと、客室係の女の子が二人立っている。なんだろうと思ってドアを開けると、早口のポルトガル語でなにやら恥ずかしげにいった後、二人はたくさんのシャンプーとリンスを私に渡して立ち去っていった。
取り残された私は、お洒落なボトルの小さなシャンプーとリンスを両手に抱え、三秒くらい固まっていたが、ああ、これは、彼女たちからのお見舞いの品なのかと気がついた。私が今朝エレベーターに閉じ込められたことは、ホテル中の人が知っている事件なのだ。
ガラス張りの浴室に大量のシャンプーとリンスを置きながら、嬉しさが込み上げてくる。災い転じて福となる。やさしさに包まれて私は、うっかり冷蔵庫の中の高級チョコレートに手を出しそうになり、危ない危ないとひとりごとをいいながら、地図で見つけたホテルの近くのショッピングセンターへ出かけることにした。
坂の街の地図の距離感があてにならないのはわかっていたけれど、ショッピングセンターへの道のりは、息が切れるほどの上り坂だった。地図上ではちょっと左に歩けばいいだけに思えたのに、ちょっとした山を登っているような上り坂で、つりそうなふくらはぎの筋肉をなだめながら、ふうふうと登ってゆく。
やがて坂の上にユニークな建物が見えてきて、それが目指すアモレイラス・ショッピングセンターだった。映画館があり、レストラン街があり、地元民で賑わっているとガイドブックには書かれていたけれど、入り口が見当たらない。どうやら裏手の方に着いてしまったらしい。ぐるりと回ると大きな入り口があるようだったけれど、ここからも入れるのならと、私は裏口から入ってみた。
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