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アパートメント紀行(33)

アンティーブ #3



 タマラの家を仲介してくれたパリ在住のユミコさんから、携帯にメールが届いているのに気がついたのはついさっき。ユミコさんのご主人が、モナコで少し仕事をするらしく、二人で一緒に南へ行くからタマラの家にも寄ります、もしよかったら夜ごはんでも一緒にいかがかしら、そう書かれたメールは三日前には届いていたようで、近頃の私は携帯をほとんど触っていなかったから、それを読んだ十分後、パリから来た二人が私の部屋をノックしたのでびっくりした。

 初めまして、居心地はいかが?
 ぬぼうっと過ごしていた私の耳に、きれいな日本語が聞こえてくる。陽気な声のユミコさんに、眠っていたの? と聞かれ、えっと、なんか、毎日夢の中にいるような感じでというと、ご主人が、そうだよなあ、パリからここへ来ると、時間の流れが全然違う感じがするもんなあという。

 今日はもう泳いだ? と聞かれ、これからですと答えると、僕らもこれからプールへ入るから、あとでゆっくりプールサイドでねといって、お二人は早々に立ち去って行く。

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 石田さんご夫妻は、多分私より少し年上だ。お二人は十三年前に三年間、この部屋に住んでいたそうだ。石田さんは鍼灸師。鍼灸の仕事はフランスでもかなり需要があり、今回は、モナコの顧客の家で仕事をするため南へ下り、ついでにこちらへ立ち寄ったのだという。

 デッキチェアに寝転んでいるユミコさんに、今夜はどこで寝るんですかと聞くと、上に客間があってね、いつもそこに泊めてもらうのよという。この家にはいったいいくつ部屋があるのだろう。

 石田さんご夫妻は、今夜は私たちが夕食をご馳走するからキッチンを貸してねという。もちろん私は大歓迎。夕刻、彼らは食材とワインをたくさん抱えて私の部屋(昔の彼らの部屋)へやって来て、勝手知ったるキッチンで、懐かしいなあといいながら、ゆっくり料理を作り始める。

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 やがて、石田さんに料理の仕上げを任せたユミコさんが、テラスへ出て、テーブルの準備を始める。ユミコさんは、タマラが用意してくれていた数枚のテーブルクロスから一枚クロスを抜き取り、馴れた手つきでふわっとテーブルに掛け、お皿やグラスを並べてゆく。一卓だけのテラス席は、ちょっとしたレストランのようになってくる。

 さあ、乾杯しようと石田さんがワインを開け、ユミコさんが山盛りのサラダを運んでくる。サラダだけでワインが一本空き、日本語で話すと時間の流れが速くなるのか、アルコールの消費も早い。

 石田さんたちが教えてくれたタマラ家の歴史によると、タマラのお父さんはロシアで事業に成功した富豪らしく、この家とモナコのレストランはタマラへの結婚プレゼントであるとのこと。タマラは最初の夫とは離婚していて、今の夫とは再婚で新婚で、石田さん夫妻は、タマラの最初の結婚式にも二度目にも出席していて、ルドゥミラが生まれた時もそばにいて、それからタマラの本当のお母さんはずいぶん前に亡くなっていて、今のお母さんは二番目のお母さんらしい。

 そんなに長いつき合いならもう親戚のようなものですねというと、そうだね、今やもう日本の親戚より近しいよねという。日本に帰りたいと思うことはないですか? と聞くと、時々あるけど、フクシマ以降はもう思わなくなったかな、という。

 旅先で知り合った日本人は、みんな同じことをいう。外国のニュースでは、日本では流れない日本のニュースが流れる。私にも、もうこちらで暮らせばいいのにと勧めてくれる人が多い。私も旅に出る時は、どこかに自分に合う土地があれば、そこで暮らしてもいいかも知れないなどと、能天気に考えていたけれど、私は今、日本の風土や文化が大好きな自分に気がついている。旅が終わったら日本へ戻り、どこに住もうかと考え始めている。

 こっちで暮らそうとは思わないの? とユミコさんが聞く。
 ええ、旅だから楽しいんです、と私は答える。

 昼間は溶けるほど暑い南仏の夜は、薄手の上着を羽織らないと寒いくらいに冷えるけれど、私たちは、日本語で話せる新しい相手と出会ったことが楽しくて、お喋りが終わらない。

 明日はタマラの旦那さんもモナコから来るし、みんなでパーティしましょうっていってたわよ、ミキも呼んでねっていわれてたんだったわ、空いてるわよね? とユミコさんが聞く。もちろんです、ユミコさん、私の夜はいつも空いています。

 私たちが談笑しているテラスの上はルドゥミラの部屋だったようで、窓から顔を出したルドゥミラが、ボンニュイ、オヤスミナサイ、といって窓を閉める。うるさかっただろうか、申し訳ない。

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 声のトーンを落とし、彼女はいったい何ヶ国語話せるんですかと聞くと、フランス語、英語、ロシア語かな、という。英語しか話せないアメリカ人と違って、ヨーロッパの人は何ヶ国語も話すからね、と石田さんはいう。ルドゥミラはそのうち、日本語も話せるようになるのだろう。

 ああ、そうだ、土曜日にジュアン・レ・パンで花火大会があるのよ、よかったら一緒に行きましょうよとユミコさんが誘ってくれる。花火大会のことは聞いていたけれど、夜の山道を一人で歩くのは無理だろうと諦めていたから、とても嬉しいお誘いだった。

 ではそろそろお開きにしましょうかとユミコさんがいい、片づけは私がやりまからといってはみても、結局一緒にやってもらい、眠い目をこすりながら、おやすみなさいとドアを閉めた。

 みんなで食べる夕食は楽しい。私は一人でいることが好きだけれど、この頃は、日本にいる友人たちに会いたくて仕方ない。日本へ帰ったら温泉に入りたい、それから生ビールを飲んで焼き鳥と枝豆を食べたい、それが今の私の夢。南仏で、夢を叶えている最中に、また新しい夢を見ている。
 
 翌朝プールへ行くと、若い男性が庭の手入れをしていた。ユミコさんと二人でデッキチェアに寝そべって、サングラス越しにかっこいい庭師の働く姿を見ながらロゼワインを飲む。ねえ、最高に贅沢ね、ワインを飲みながらウインクするユミコさんに同意する。

 タマラは朝からバタバタしていて、そんなタマラの様子を二番目のお母さんが笑って見ている。夜のための準備に忙しいのだろう。

 私は午後からゆっくりと睡眠を取り、ルドゥミラが呼びに来てくれるまで、だらだらとソファに寝転ったまま、窓から空を眺めて風の流れを見つめていた。

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 ルドゥミラは、みんなが集まって食事をするのが楽しみでしょうがないらしく、私に自分の部屋を見せるといって、自分の部屋まで私を引っ張っていく。

 初めて入る母屋は、迷路のようにいくつも階段があり、キッチンにいたタマラが、このドアを開けるとミキの部屋まで行けるのよと、巨大な冷蔵庫の脇の小さなドアを指差す。

 この家の設計がどんな風になっているのか、部屋の位置関係はさっぱりわからなかったけれど、一人くらい賊が忍び込んでいてもわからないだろうと思えるくらい広いタマラの家は、私にはおとぎの国の家のように思えた。

 ルドゥミラの部屋には、初音ミクと、フランスのアイドルらしい若い男の子のポスターが貼ってあった。近頃ルドゥミラは、私のことをミクと呼ぶ。何度か、ミキとミクをいい間違えて、面白いからもう間違えたまま呼ぶことにしたそうだ。

 ルドゥミラは、学校の友達と撮った写真や、セーラームーンの塗り絵や、書道体験をした時に書いた現代アートのような漢字を見せてくれた。部屋にはピンクのパソコンがあり、このパソコンを通じて、彼女は世界中の文化を学んでいくのだろう。

 タマラが、食事の準備が出来たわよと呼びに来て、私たちはプールサイドに設えられた食卓につく。席には、初めて会うタマラの二番目の夫がいて、恰幅のいい外見からまたしてもマフィアのようだと思ってしまうけれど、話してみると意外にシャイで、その優しい話し方から穏やかな性格なのが見て取れた。

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 タマラの旦那さんとお父さんの共通の趣味は釣りで、特に渓流釣りが好きらしく、一家全員でアラスカへ行った時の写真を見せてくれる。そして、タマラたちが、来週から新婚旅行でカナダへ行くことを知る。

 ああ、そうだったわと、タマラが急にそれを思い出したようで、だからミキを空港まで送れないんだけど、その代わりパパが送って行くから、時間をちゃんと教えておいてね、という。まさか空港まで送ってもらえるとは思っていなかったので、タクシーを呼んでもらえれば大丈夫ですよというと、パパが、ノンノン、私が運転する、とハンドルを動かすジェスチャーをする。ママも、そうよ、この人ちゃんと運転出来るのよ、任せておきなさいという。

 モナコへは行ったことあるかと聞かれ、一度だけあると答える。訪れたのはちょうど、F1グランプリが開催される直前だったので、タクシーの運転手さんに頼み込んで、もう準備万端のF1のコースを二周走ってもらったというと、それはいい、ナイスアイデアだったねとみんながいう。

 タマラの旦那さんの亡くなった叔父さんが、モナコでは有名なアーティストだったらしく、今ちょうど回顧展が開かれているから観に行ってみたらとタマラがいう。モナコのアーティストは、国から優遇されていて、王室が作品を買い上げてくれるから、食いっぱぐれがないそうだ、羨ましい。石田さんご夫妻に通訳してもらい、モナコのことをいろいろと教えてもらう。

 生粋のモナコ人というのは、モナコの人口の十五パーセントほどしかいなくて、モナコ人の失業率はゼロなのだそうだ。望めばみんな公務員になれて、公務員宿舎に入れる。宿舎といっても豪華なアパートメントで、一生優雅に暮らせるらしい。

 タマラの旦那さんもカジノで働く公務員で、彼は思い出したようにポケットからカジノの通貨を一枚取り出して、はい、お土産、と私にくれた。
 
 モナコへ行くなら絶体に船で行く方がいいわよとタマラが力説する。タマラのお母さんが私にウインクする。私はすでにそうするつもりで、タマラが用意してくれていた船の案内パンフレットをもう読み込んでいる。

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 ところでタマラの作った料理は美味しい。挽肉がつくね状になった串焼きは何本でも食べられるし、クスクスのサラダの味もいい。いろんな種類の見たことのないパンがあって、少し硬い胡麻のついたパンが特に美味しくて、次から次に頬張っていると、気に入った? それ、ロシアから買ってきたのよと、タマラのお母さんが嬉しそうにいう。

 美味しい料理と楽しい会話を堪能していると、突然、遠くで花火が上がった。あれ? 花火大会は明日じゃなかったっけ? と誰かがいい、でもここはフランスだから、急に今日やることにしたっていっても不思議じゃないよねと誰かがいう。
 
 タマラの旦那さんが、あの花火は少し遠いから、ニースの方じゃないかなという。ルドゥミラと私は急いで二階のベランダへ上がり、遠くに上がり続ける花火を見る。ミクは明日ジュアン・レ・パンの花火を見に行くんでしょう? 私たちはカンヌの花火を見に行くの、一緒に行きたかったなとルドゥミラがいう。ありがとう。

 二階のベランダから見下ろすプールは、ライトに照らされ水面がゆらゆら神秘的に輝いている。庭は深い森のようにしんと静まりかえっている。プールサイドから聞こえるみんなの笑い声だけが、頼りになる灯台のようだった。花火が終わり、私たちの食事も終わり、充実感と共に夜は更けてゆく。眠りに就くのがもったいないような気がして、私は遅くまでテレビを観ていた。

 翌日、早いうちから出かけましょうとユミコさんがいうので、花火ツアーは夜七時半に出発。夜といっても昼のようにまだまだ明るい海岸線をのんびりと歩き、ジュアン・レ・パンのビーチを目指す。
 ニースへ行く時、エクスへ行く時、TGⅤの車窓越しに眺めていた地中海沿いの国道を、今自分がのんびりと歩いていることに、なんだかとても感動する。今左手の線路を通り過ぎたTGVを振り返り、二ヶ月くらい前、車中に居た少し不安そうな自分を思い出す。二ヶ月後、ただのんびりと車窓の外に居るなんて、予想だにしていなかった。

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 私が、通り過ぎるTGVをいちいち振り返って感傷に耽ったり、海沿いのレストランの色使いの見事さに感動して表や裏まで見学しているものだから、行程はやや遅れ、三十分で着くはずのところを四十五分くらいかかって会場へ到着する。

 もうすでにかなりの数の人々が、ビーチに座って盛り上がっていて、食べ物や飲み物を売る屋台も出ている。トイレへ行きたくなると困るのでビールは我慢し、コーラとハンバーガーを食べながら、ビーチに座ってお喋りに興じ、花火が上がるのを待っている。

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 十時を過ぎ、やっと空が暗くなってきて、ざわついていた人々が静かになる。十時半、始まりの合図の花火が上がり、一度歓声が起きるが、また静かになる。すると、どこからか音楽が流れ始め、それに合わせるように花火が上がり始める。ビーチはしんとし、音楽と花火が連動しているんだと気づいた時にはすっかりその演出に引き込まれていて、まるで壮大なオペラかバレエを見ているようだった。

 物語の主人公となっている花火は、時にシンプルに、時にゴージャスに、緩急をつけて上がり続け、最後の大団円では気持ちが一気に盛り上がる演出で、ババーンと終わった瞬間には、静かだった観客は一斉に拍手をして歓声を上げ、こんな花火は初めて見たと感動する私に、さすがフランスでしょう、とユミコさんがいう。さすがフランス、花火にもアムールがあった。

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 夜のジュアン・レ・パンは、海岸沿いこそ明るく活気に満ちていたが、ひとたび裏道に入ると、少し身の危険を感じるほど閑散としている。しかし石田さんたちにとっては慣れた道であり、帰途に就く人々で混む道を避けて二人はすいすいと、狭い裏道を通り抜けて大きな通りに出る。

 ご夫妻は、あら、あのお店まだあるのねえとか、よく行ってたパン屋さんが無くなってるわよとか、懐かしい街の変遷に心を寄せながら歩いているので、それを横目で見ながら、全然知らないくせに私も一緒になって、街は変わるんですねえなどといって頷いている。

 僕たちが車を所有せずに、どこまでも歩いて行くことが、タマラたちには不思議でしょうがないみたいなんだよね、と石田さんがいう。僕らからするとタマラは相当なお金持ちだけど、ここにいるともっとすごいケタ違いのお金持ちがたくさんいるから、タマラは自分たちが普通だと思ってるみたいなんだよね、そういうもんだよね、人生って。

 石田さんの顧客には、大金持ちの人が多いらしい。私もいつか大金持ちになったら専属のマッサージ師さんを雇いたいといったら、いいわね、いつまでも夢があって、とユミコさんに笑われる。

 夏の夜に山道を歩くのは、汗もかかなくてちょうどいい。ぽつんぽつんと見える豪邸の灯りが、タマラの家までの目印で、もうすぐ着くという辺りで、突然犬に吠えられる。あ、犬に注意の看板の家だ。

 わあ、びっくりしましたねえといいながら、あの犬、ちゃんと吠えるんだと感心する。姿は見えなかったけれど、ちょっと情けない感じの写真の犬が、一生懸命吠えている姿を想像し、グッジョブといって撫でてみたい衝動に駆られる。

 やっと家に辿り着き、ありがとうございましたと丁寧にお礼をいい、明日の朝は早くに出るからもう会えないかも知れないねというお二人に、軽くハグをしたい気分だったけれど、日本人同士なのであっさりと握手をし、重ねてお礼をいい、部屋へ戻る。

 いい花火だったなあと思い出し、今夜もまた眠りたくない気持ちでいっぱいで、言葉のわからないテレビドラマを見ていると、あれ、これはロシアのドラマだと気づく。ザッピングしていると、日本のアニメをやっている局もあった。世界中のテレビ番組が、南仏の小さなテレビに映っている不思議。
 テレビを消して、眠りに落ちる寸前に、夜の海辺の景色を思い出し、私は今、地中海の傍らにいるのだと実感して笑みが出た。

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