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アパートメント紀行(29)

エクス・アン・プロヴァンス #7


 月曜日、新しいクラスメートが入り、最下位クラスはまた新たな二週間をスタートする。相変わらず夜遊びしているらしい眠そうなカミラに、神父と踊っている昨晩の写真を見せると、きゃあ、それ送ってと、急に元気になって身を乗り出してきて、いつものように授業そっちのけになり、お決まりのようにアンヌに怒られる。新しく入って来たトルコ人のうつくしい歯科医のエズキが、その様子を楽しそうに見ている。

 ほんの二週間だけ優位に立っている生徒が、新しいクラスメートと対になってこれまでのおさらいをすることになって、私はエズキと組んだ。
 エズキと私は同じ年だということがわかり、誕生日も一日違いだと判明し、わあ、セレンディピティといって微笑むエズキの声がやさしくて、この人はきっといい歯科医なんだろうなあと思った。
 
 授業が終わったあと、エマと私はエズキを誘ってランチへ行く。昔、ミスアメリカやミストルコだったといわれても信じてしまいそうなくらいうつくしい二人と歩いていると、ちょっと得意げな気分になるが、ショーウインドウに映る自分の姿を見てしまい、二人の金髪美女とかけ離れた容姿の自分に落胆し、なんだかどっと疲れが出る。

 私が疲れていることに気づいたエマが、大丈夫? と気にしてくれて、早く帰りましょうかといってくれるのだけれど、付き合わせるのは申し訳なかったので、先に帰るねといって、心配顔の二人をレストランに残して帰路に就く。
 
 帰り道、めまいと悪寒に襲われて、ああこれは熱が出るなあと思い、水と果物をたくさん買って帰り、帰り着いてすぐに解熱剤を飲み、ベッドへ倒れ込んだ。昏々と眠っていて気づいたら夜中で、トイレに立ったあとまたそのまま眠り続けた。

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 朝になっても体調は良くならず、心配して見に来てくれたエマに、今日は学校を休みますと先生に伝えてほしいと頼み、また眠った。
 午後になって、エマがエズキと一緒に、どこで見つけたのかスシ弁当を買って来てくれて、エズキはエマが隣りへ帰ったあとも、少しだけそばにいてくれた。
 私の脈を測ってくれているエズキに、私の心臓には欠陥があることを伝えると、まあそうなのと驚いて、私が持参している薬を全部見てから、これとこれを飲むといいわといって、ゆっくり休んでねといって帰って行った。

 たった一日しか会っていないのに、こんなにやさしくしてくれるなんて、エズキはなんていい人なのだろう。不思議な味のスシを食べ、スシ弁当を買って来てくれた二人の思いやりに癒されて、異国で寝込む不安が軽減してゆく。

 二週間、全力で走り続けた結果はこれだけれど、寝込む度に感じる悔しさや焦燥感は、そのうち、こうやって誰かに心を寄せてもらえることへの感謝に変わる。小さな頃から体調を崩して学校を休みがちだった私は、人のやさしさには人一倍敏感だ。

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 結局私は学校を三日間休み、毎日プリントを持ち帰ってくれるエマに感謝し、でも一人ではさっぱり解けない宿題を諦め、金曜日になってやっと学校へ行くが、三日間の遅れは大きくて、三日間学校をサボっていたというカミラと何度も目を合わせ、変顔をし合いながら授業をやり過ごそうとするも、熱血アンヌに見つかって怒られる。こんなときリーナがいたら大笑いしてくれるのにと思っていると、くすくす笑っているエズキと目が合った。

 授業が終わってみんなでランチへ行くも、三日間のブランクは大きく、もうすっかり仲良しになっているみんなの輪に溶け込めないでいる。私も経験したからわかるが、今、この瞬間の一日は、一週間や一ヶ月や一年にも匹敵する。

 エマが、話についてゆけない私に気を遣ってくれて、ランチのあと、一緒にグラネ美術館へ行かない? と誘ってくれたので炎天下の中、美術館まで歩いて行く。

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 ミュゼグラネには、十九世紀の画家グラネの作品のほかに、セザンヌやルーベンス、レンブラント、それからピカソ、マティス、クレー、ジャコメッティらの作品があり、絵画や彫刻のほか、考古学ルームまであった。

 涼しい空間で、私の興味を一番引いたのは、地中海沿いに住んでいた画家たちの、家やアトリエの位置を記した大きな地図で、名立たる画家たちが、コートダジュールやプロヴァンスにアトリエを構え、地中海の光やプロヴァンスの木々にインスピレーションを得ていたことがわかった。

 ピカソは転々としていたんだなあとか、マティスが滞在していた小さな町はうつくしかったなあなんて思いながらエマを待ち疲れ、頭がくらくらしてきたのでああ大変だと思い、一枚一枚の絵にじっくりと見入っていたエマを見つけて、ごめん、あんまり調子が良くないので先に帰るねといい、一人で美術館を出る。

 燦々と降り注ぐ太陽の光が、プラタナスの木陰越しに和らぐ道を選んで帰りながら、日本の友人たちのことを考える。みんな元気でいるだろうか。夏休みが始まって、小さな子供を持つ友人たちは大変だろうなあ、海の家はオープンしただろうか、朝晩涼しいエクスと違って日本では熱帯夜が続いているらしいけれど、その寝苦しい夜の記憶さえ、今の私は恋しかった。

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 体調がすぐれずに、私はホームシック気味になっている。ベッドの中で、出発前は行く気満々だったモロッコやチュニジアやキューバやメキシコへのフライトをキャンセルする。それらの国へ行くには体力が持たないであろうし、そして何より私はもう、一人旅に興味を失っている。
 
 私が購入した航空券は、世界一周チケットなので、私の選んだ西周りルートでは、ヨーロッパ大陸からは大西洋を渡らないと日本へは帰れない。本当は、フランスのあとそのまま日本へ帰りたい気分だったけれど、チケットの性質上、それは出来なかった。

 夜に様子を見に来てくれたエマが、それならLAへいらっしゃいよといってくれたので、エマの住むLAへ寄って帰ることにした。エクスのあとパリへ寄り道してから帰国するというエマは、LAで、私をどこへ連れて行こうかともう思案し始めている。
 
 いろいろと調べた結果、またイギリスへ戻り、ロンドンからLAへ飛ぶというのが一番簡単な方法だったので、ロンドンに住んでいる友人に連絡し、八月の終わり頃に寄りますとメールした。

 土曜日にお見舞いに来てくれたマサコと相談し、エクスでの滞在をあと二週間延ばし、休んだ分を取り戻すため、プライベートレッスンを受けることにした。せっかくここまで来たのだから、少しくらいは真面目にフランス語と向かい合おうと思ったのだ。
 アランに部屋の延長の相談をすると、ちょうど私のあとに入居予定だったブラジル人がキャンセルしたらしく、お互いに助かった。

 そして、エクスでの滞在が終わったら、私はどうしても、地中海沿いのどこかの街でヴァカンスを過ごしたかったので、ネットを駆使してコートダジュール沿いの貸家を検索した。
 
 八月の地中海沿いの貸部屋はどこも高値だったので、半分諦めながらベッドの中でネットサーフィンしていると、そこそこの値段の、素敵なプールのついた部屋を見つけた。それは、所有者の友人だというパリに住む日本人夫婦が仲介をしている部屋で、二部屋空いていると書いてあったけれど、しかしそのネットの情報は数年前のものだったから、ダメかも知れないと思いながら、連絡先となっていたアドレスにメールを送ってみる。

 日本語で書けるのが嬉しくて、馬鹿丁寧な文章を送り、すぐに返事は来ないだろうと期待はせず、私はぐったりと週末を過ごし、全く回復しない体調にとまどいながら、それでも日曜にやっとのことでカレーライスを作り、匂いにつられてやって来たナミちゃんと一緒に、庭のテーブルで懐かしい日本の味を堪能した。エマにもお裾分けしようと思ったけれど、肉を使っていたのでダメだった。
 
 夜、期待していなかったパリからのメールが届き、迅速なやり取りの末、私はアンティーブという街で、八月のヴァカンスを過ごせることになった。

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 月曜日、まだ本調子ではなかったが、学校へ行く。元気溌剌なクラスメートたちが眩しく見えて、私も頑張るぞと思ったけれど、授業中にめまいがして、その旨を先生に伝えると、少し横になった方がいいわねと、小さなスタッフルームに連れて行かれた。

 少し休んでいればめまいも治まり家に帰れるだろうとソファに横になっていると、授業中なのにエズキがやって来て、私の額に手を当てたり脈を測ってくれたりする。そのやさしさは嬉しかったけれど、私は大丈夫だから授業に戻ってと恐縮すると、いいのよ、そんなに真剣に勉強しているわけじゃないからと微笑んで、エズキは私のそばについていてくれる。静かでやさしい声のエズキと、お互いの人生の共通点を見つけながら、私たちはひそひそと話をする。

 エズキには二人の息子がいて、外科医のご主人と四人でトルコの首都アンカラに住んでいる。毎日忙しく過ごしていて、やっと子供たちが大きくなったので、自分の夢を叶えるためにここへやって来た。そんなエズキと私の人生に、一見すると共通点は全くない。

 しかし私は、もし私の最初の夫が死んでいなければ、私にも子供が二人くらいいて、忙しい毎日を送りながら、エズキと同じタイミングでここへやって来たかも知れないと思った。私の心の奥の小さな部屋には、死ななかった夫と、産まれてきた子供たちとの生活が営まれている妄想の部屋があって、私は時々そこへ行き、目を瞑ってその生活をしばらく楽しむことがある。

 下手な英語だから、そんな私の突飛な話がちゃんとエズキに伝わったのかわからなかったけれど、エズキは頷いて、わかるわ、選ばなかった人生というのが私たちには山のようにあって、でも、それはきっとどこかに確実に存在していて、帰りたい時に帰ることが出来るのよ、といった。

 誕生日が一日違いの同い年のエズキと、静かな部屋で話をしながら、エズキの人生は、私の人生でもあるのだという考えが浮かぶ。私の人生は、エズキが選ばなかった人生でもあるのかも知れない。
 人の人生は一つだけれど、出会う人の人生が、自分の選ばなかった人生だと思うと、なぜ人は人と出会うのかがわかる。
 きっと私たちは旅に出て、別の人生を生きている自分と出会うのだ。私はエズキと出会い、私が選ばなかった人生を見た。どちらの私も幸せだった。

 エズキの柔らかい声と、さっき飲んだ薬の効果で私はうとうとし始めた。少し眠って、というエズキに、ありがとうとお礼をいい、一時限目の授業の終わるベルの音を聞きながら眠りに落ち、そのあと、バタンとドアの開いた音で目覚めると、エズキの姿は消えていた。

 乱暴にドアを開けたのは校長で、多分私と同年代の、いつもお洒落なフランス人女性。私は寝ぼけたまま、校長先生に連れられて病院へ行く。
 病院といっても、受付もなければ看護師もいない古いアパートの三階の一室で、普段着の医者から、聴診器を当てられたり喉の奥を調べられたりしたあと、わかりやすい英語で、風邪をこじらせたんでしょう、しばらく休養してくださいといわれる。

 素敵な校長先生が、家まで送るわといってくれたけれど、多分会話に困ると思ったので、お礼をいってお断りして、ゆっくりと一人で、まだ午前中の静かな街を歩いて帰る。平日の午前中はいつも学校にいたから、昼前の街が、こんなにしんとしているとは知らなかった。

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 いつもと違う道を通り、古い街並みのうつくしさにうっとりしながら、家々の窓の中を覗いてみたい欲望を抑え、中世にタイムスリップしたような気分で石畳を歩く。そういえば、膝の痛みは近頃ない。精力的に歩いていないし、友だちが出来て楽しかったり、体調の悪さに気を取られていたせいもあるのかも知れない。

 小さなスーパーで、トーフやウドンを買い、あまり元気のない野菜や果物を買い、家に帰ると、アランがアトリエで制作に励んでいて、ミキ、早いね、大丈夫? と聞くので、コムシー、コムサーというと、喋れるじゃん、フランス語、といってアランは笑う。コムシコムサ(まあまあね)というフランス語は、日本にいる時から知っていたけれど、私が何かフランス語を発すると、アランは喜ぶ。

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 翌日も学校を休み、だらだらと眠っていると、アランの友人の、先週大いに盛り上がった仲間の一人のクロエがやって来て、具合が悪いって聞いたから、私の友人の医者を呼んだのよ、あとで来るからよろしくね、という。

 クロエはあの夜、私の名前を漢字で書いてといい、私は黒江と書き、辞書を引いてノワールなフルーヴという意味になると教えると、ブルネットでシックなクロエは気に入ったのか、黒江と書いた紙を持ち帰った。これをタトゥーにしなければいいがと心配したけれど、無鉄砲な若者ではないから大丈夫だろう。

 近くまで来たから寄っただけなの、とクロエはすぐに帰って行ったけれど、ナミちゃんによると、あの晩来ていた女性のうちの何人かが、アランの恋人だったり元恋人だったりするらしいので、クロエはどこに位置するのだろうかと少しだけ考えた。

 アランが、クロエが呼んでくれた医者を連れてやって来た。小太りの、押しの強い感じの医者は、私の胸と背中に聴診器を当て、ああ、アズマだね、という。この時期多いんだ。プラタナスのアレルギーもあるかもね、という。アズマってなんだっけ? あ、喘息か、私は喘息なのか? アレルギーって花粉の?

 昨日の医者は風邪だといっていたし、もうよくわからなくなったけれど、多分、休養すれば回復するのはわかっていたから、ちょっと物珍しさもあって、出してくれた処方箋を持って薬局へ行くと、なんと薬を箱ごと渡されて、わあ、これはお土産にしようと思って嬉しく受け取った。

 この頃は、帰ることばかり考えていて、お土産のことを気にしている。ちょっと珍しいものがあるとすぐに目がいってしまう。エクスの有名なお土産物は、カリソンというアーモンドとフルーツで作られた甘いお菓子だけれど、すぐに帰国するわけではないから、日持ちのしないものは持ち帰れない。

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 七月の終わり、プラタナスの黄緑色の花が、まるで羽毛のようにふわふわと盛大に道に落ちていて、ひょっとして本当にこれのアレルギーだとしたら、私はもうフランスにはいられないじゃないかと頭では思いながら、私の足は楽しくそのふわふわを踏みしめて歩いている。

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 学校を休む大義名分が出来て、私は随分自由な気持ちになっている。ひょっとしたら毎日学校へ行くことのストレスが、体調不良の原因なのかも知れない。
 
 私はなんてダメな人間なんだ。そう自分を責めながら歩いていると、ランチ時は混んでいてなかなか入れないガレット屋が、オープンしたてで空いていて、これはチャンスとばかりに入ってみる。のんびりと一人で貸し切り状態の店内で、サーモンとチーズのガレットを注文し、まあしょうがないよね、こんな私だけどさ、と久しぶりに独り言をいってみる。
 
 出来上がったガレットが、びっくりするほど美味しくて、夕食用に持ち帰ろうとアーティチョークのガレットを注文し、ただ焼けていくのをじっと見ていてほんわかと幸せだった。

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