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アパートメント紀行(25)

エクス・アン・プロヴァンス #3


 超初級フランス語コースは、一時間半の授業が午前中に二コマだけ。お洒落で素敵な若い女性の先生が二人、一日交代で教えてくれる。
 物腰の柔らかいアンヌは、生徒一人一人が理解出来るまで、じっくりと熱心に向き合ってくれる先生で、一方のイザベルは、とてもシャープで、大袈裟なほどはっきりと、大きな声でフランス語を発音してくれるので、私の耳にはこちらの先生のフランス語の方が聞き取りやすかった。
 アンヌもイザベルも、このクラスはしょうがないといった感じで時々英語を挟んでくれるので、私たちは非常に助かっている。

 私を最初に悩ませたのは、Hの発音。日本人には難しいのよとアンヌは同情してくれるけれど、イザベルは、乗り越えましょうと特訓してくれる。ガラガラとうがいをする途中の発音だといわれ、上を向いてうがいの仕草をしていると、それを見たリーナがお腹を抱えて大笑いする。しかし、北欧勢はSの発音が苦手らしく、サ行がうまくいえずに何度も繰り返しているリーナのことを、私はきちんと笑い返している。
 
 フランス語のABCから勉強している私たちに、一時間半もの集中力があろうはずもなく、そのうち誰かが欠伸をし、それを誰かが写真に撮り、先生に叱られるの繰り返し。
 和やかというより賑やかな教室には、真面目に勉強したい人には迷惑なメンツが揃っていて、授業が始まって三日目に、その真面目な人はいなくなった。
 別のクラスに移ったというその人の代わりに、別のクラスで落ちこぼれだったらしいロシア人のナダルが入ってくる。マフィアのような風貌のナダルは、見た目とは裏腹に世話焼きで、誰かがちょっとペンを落としただけで、大仰に授業の進行を止め、それを拾ってあげたりしている。

 クラスで唯一の男性である新入りのナダルは、非常に暑がりのようで、あまりエアコンの効かない陽当たりのいい教室で、一コマ目が終わる頃には根を上げた。休憩時間に、暑がりの人がエアコンの近くに座ろうということになり、席替えをすべくみんな立ち上がったのだが、結局みんな暑がりで、我も我もとエアコンの風が直撃する席を狙うから、やんややんやと席取り合戦が始まって、やがてそんな自分たちのことが可笑しくなってきて、げらげらと笑い始めて収拾がつかなくなってきた。

 いい出しっぺのナダルが、ここは公平にいこうといって、世界地図通りに座ろうといい出す。俺はロシア人だからここ、スウェーデンはここ、隣りがノルウェーで、ドイツはこっち。ミキ、日本はそっちね。悪いけどアルゼンチンはあっちだ、といって一番エアコンから遠い席を指差す。
 なぜかみんなが妙に納得して大人しく座った席替えは、実はロシアをエアコンの真下に置いての世界地図であり、その不公平さにみんなが気づいて文句をいい出すまで、ナダルはずっと笑いをこらえていた。

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 学校の近くのカフェでは、夏になると増える年配の生徒たちが風物詩なのか、カフェの経営者や常連客たちは、にわかフランス語教師となって、私たちと話すのを楽しみに待ち構えてくれている。
 どこから来たのか、歳はいくつか、独身か、そんな簡単なフランス語講座にかこつけて個人情報を引き出すので、真面目にフランス語で答えていると、それが単なるナンパだったりして、うっかり引っかかって食事に誘われているマダムもいる。

 私たちは授業で、自分たちのプロフィールは大方話してしまっているので、それぞれの年齢や職業や家族構成などはとうに知っている。私が陽気なおじいさんに歳を聞かれてカラントュイットだと答えると、ノンノン、間違っている、三十八歳はトラントュイットだというので、おじいさんの間違いに私が気を良くしていると、リーナが真剣に、違うのよ、この人は若く見えるけど本当に四十八歳なのよといって、おじいさんの間違いを正そうと躍起になっている。

 ずるいわよ、アジア人は若く見えるから、というリーナは五十二歳。それを笑って見ているエマは絶対に年齢をいわない。リーナはこっそり、きっと六十歳くらいよ、でも整形しているから若く見えるのよ、という。それが事実かどうかはわからないけれど、それくらいエマはきれいだった。

 それから私たちの間で流行っているのは、テュ・コンプロン?(わかる?)、ジュ・ヌ・コンプロン・パ(わかりません)、この二つのフランス語だけで会話を成り立たせること。
 先生が、わかった? と聞くので、わかりませんと答えることが多い低レベルの私たちは、レストランやブティックでフランス語で話しかけられた時、このフレーズを使って楽しんでいる。
 
 エコテ、という単語もいち早く覚えた。聞いて、という意味で、先生が、エコテーというと、私たちは耳を澄まして先生の発音を聞かなければいけない。
 
 木曜日、朝からエコテエコテと二十歳のカミラが大騒ぎしていて、何事かと思っていると、今日はツール・ド・フランスがエクスを通る日なのだという。私はすっかり忘れていた。毎晩若者向けのクラブへ通っているカミラが仕入れてきた情報によると、超高速自転車の集団は、すぐそこの通りを十二時に通過するらしい。それを聞いたみんなは、今日の授業は早く終わってもらいましょうと勝手に決めている。

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 カミラは、アルゼンチンから来た女の子。子供の頃に柔道を習っていたから日本語が少しわかるといって、イッポン、アリガトゴザマス、ヨロシクオネガシマ―スなどといってみせる。
 授業中、私の持っている三ヶ国語会話辞典を貸して貸してとせがみ、英語で調べた今の自分の気持ちを、日本語でノートに書いて私に見せてくる。
 カミラが書いた漢字は、眠い、退屈、憂鬱。必死で真似された漢字は散らばった記号のようにも見えるけれど、チョイスがうまい。なかなか賢いなあと思いながら笑っていると、仕舞いには、生理痛とまで書いてきて笑いが止まらない。

 そのやり取りを見ていたほかの人たちも、貸して貸してとねだるので、私の三ヶ国語会話辞典は大人気となり、下手な漢字を書いた紙が授業中に飛び交い始める。みんな、難しい漢字ほど書いてみたくなるらしく、胃潰瘍とか解熱剤とか耳鼻咽喉科とか、病院での会話が人気だ。

 二時限目が終わるのは十二時半なのだけれど、ツール・ド・フランスを見に行きたくて仕方ない生徒たちが騒ぎ始めてそわそわするので、イザベルは、一生で一度見られるかどうかわからない私たちのために授業を早く切り上げてくれた。そんなに早くには来ないわよという地元民の彼女の言葉に耳も貸さず、私たちはこそこそと、他のクラスの授業を邪魔しないよう注意しながら下校する。

 学校の先の大通りには、もう人だかりがしていて、街路樹によじ登ってカメラを構えている人、噴水に座って水遊びをしながら待っている人、通り沿いのカフェでビールを飲みながら待ち構えている人たちもいる。
 街路樹の木陰は、もう見物客でいっぱいだったので、私たちは炎天下の中、直射日光を受けながら待つ。観光客たちと暑いですねえと会話を交わし、無線機を持った格好いい警察官たちを冷やかしながら時間を潰す。

 四十分ほど経って汗だくになったところに、学校の授業を定時に終えた生徒たちがわらわらやって来て、うんと上のクラスにいる小菅くんが通りかかり、あれ? 早いですねとびっくりしている。あのね、授業を早くに終えてもらったのよというと、いいなあ、ヴァカンスクラスは、といったので、私たちのクラスがヴァカンスクラスと呼ばれていることを知る。

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 やっと、ツール・ド・フランスのスポンサーの車列がやって来る。ニースで見たのよりたくさんの車があり、一台一台ゆっくり通り過ぎた後、しばらくして向こうに、自転車の大群が見えて来た。あ、来た! と思った瞬間、集団はあっという間に通り過ぎた。

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 超高速の自転車の集団が、あっという間にいなくなって、私たちは面食らっている。こんな炎天下に一時間近くも待っていて、有名なツール・ド・フランスは、コンマ一秒で通り過ぎてしまった。瞬きをする間もなかった。
 そりゃあそうよね、レースだものねといいながら、あっという間の出来事を写真に撮り損ねたエマが、私の撮った写真を見せて見せてといい、送って送ってとせがむ。

 ぽつりぽつりと、少し遅れて走っている選手たちが幾人か、それでも超高速で通り過ぎた後、警官が終わりだという仕草をしたのと同時に見物客たちは拍手をし、沿道のギャラリーは解散となる。暑くて限界だった私たちはまず木陰に避難して、さて、今日はどこでランチにしましょうかの相談になる。

 学校へ通うようになって、毎日誰かと一緒にお昼ごはんを食べている。そのことが私には嬉しくて仕方がない。多い時で五、六人、少ない時で三人、授業が終わると教室を出て、そのままレストランへ向かっている。

 水の都エクスでは、街のあちこちにある噴水が、冷蔵庫代わりになっていたりする。座ったテラス席の横の小さな泉で、いい具合に冷やされているロゼワインを見かけると、私たちは躊躇なくオーダーし、時にはそこから自分たちで引き上げて、美味しいサーモンやビーフのランチと共に頂く。個人差はあるのだろうけれど、欧米人にとってワインは水のようなものらしく、どんなに飲んでも酔っ払わないのは羨ましい限り。

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 午前中はフランス語を学び、午後からはみんなと英語で話している。リーナは、時に私が言葉に詰まっても、大丈夫、私たちには時間がいっぱいあるんだからゆっくり話して、フランス語の授業は有料だけど、私たちの英会話レッスンはタダなんだからといい、私の口から英語が出てくるのをのんびり待っていてくれる。

 エマは、いつも何かを探している。授業中には老眼鏡を探しているし、家に帰る時は鍵を探している。華奢な身体なのにいつも大きな重いバッグを持っていて、携帯電話を探すにもペン一本探すのにも、バッグの中をひっくり返しての大騒ぎとなる。

 リーナと私はそんなエマを見ているのが大好きで、ほら、また何かを探し始めたわよといいながらエマを見ている。私たち三人は、始終つるむようになっていて、ハリウッド女優のようなエマがいると、レストランで、頼んでもいないデザートやワインが出てきたり、身なりのいい紳士たちが宿題の手助けをしてくれたりして、随分と得をすることに気がついた。

 ランチが終わると三人でバーゲンセールへ出かけたり、映画を観に行ったり、夜になると露店が並ぶミラボー通りをだらだらと歩きながら、私たちはひっきりなしにお喋りに興じている。私はフランス語を学ぶより、英語をもっと話せるようになりたいと思っている。

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 夏のエクスでは、国際音楽祭が開催されている。エクス・アン・プロヴァンス音楽祭は、六十年以上続いている有名な音楽祭らしく、上質なオペラを中心に、管弦楽や室内楽などが、大劇場や旧大司教館の中庭や野外劇場などで催され、チケットはもう数ヶ月前からソールドアウト。夜になると、街のあちこちで、正装した人々とすれ違う。

 私たちも、「ドン・ジョバンニ」を観に行きたかったけれど、チケットはあろうはずもなく、そんなときはエマの出番だ。旧大司教館の前でテレビ中継の準備をしているテレビクルーに、なんとか入れないかと頼み込むが、残念ながらテレビ局のスタッフにそんな権限はなく、その代わり、いい情報を教えてもらう。

 旧大司教館の隣にあるバーで、テレビ中継を見ながら、旧大司教館の中庭から漏れてくる歌声を聴くことが出来るだろうというのだ。それを聞いた私たちは、いったん家に帰りシャワーを浴びてから、夜九時半にバーで落ち合うことにした。
 
 エクスの夜は明るくて、遅くまで賑わっている旧市街の中心部なら、女一人で歩いていても怖くない。私たちのアパートは、それぞれバーまで徒歩五分。夜までずっと遊んでいるのと、夜に改めて待ち合わせするのではなんだか気分が違っていて、お昼の服から夜の服に着替えて部屋を出る際に、本当にここに住んでいるような気分になった。
 
 金曜日の夜、私たちはワインを飲み、ロンドン交響楽団によるモーツァルトの歌劇を漏れ聞いている。テレビの画面から流れてくる音楽と、旧大司教館の中庭から聞こえてくる音楽は少しずれていたけれど、うっとりするほど素晴らしかった。

 夏のエクスの夜は長い。紺色の夜空より、さわさわと揺れるプラタナスの葉の方が暗く見える。幻想的な月も見え、ライトアップされた大聖堂は荘厳で、そんな夜に気の合う友人たちとオペラを聴く至福。旅を始めた頃は、こんな夜を過ごせる日が来るなんて、夢にも思っていなかった。

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