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アパートメント紀行(28)

エクス・アン・プロヴァンス #6


 気持ちの悪さと頭痛で目覚め、ベッドの中で、頭痛薬を飲もうかと悩んでいると、誰かが部屋のドアをノックする音が聞こえた。
 ゆっくりとベッドから起き上がり、ぐらんぐらん揺れる二日酔いの頭が動かないよう気をつけながらリビングへ行くと、ガラス越しにエマが手を振っているのが見えた。

 ドアを開けて、あ、引っ越して来たんだ、ビアンヴニュー(いらっしゃい)というと、アランが迎えに来てくれたのよとエマがいう。さすが、美人にやさしいアラン。
 昨日は随分遅かったんでしょう? また休んでね、そしてもし元気になったら一緒にディナーへ行きましょう。そういって、エマはお隣りへと帰っていった。

 エマを見送ったあと、私は頭痛薬と大量の水を飲んで昏々と眠り、夕方近くになってやっと起き上がり、シャワーを浴び、どうにかこうにかしゃんとしたので隣りへ行くと、エマがリビングで勉強しているのがガラス越しに見えた。
 私に気づいたエマが、素晴らしい笑顔を見せて、部屋の中へ招き入れてくれる。エマの部屋のインテリアも素敵だ。アランのセンスには脱帽、庭の景色すら違って見える。

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 素晴らしく完璧な笑顔というのは、エマのような笑顔のことだ。彼女の白い歯は、歯科学教室の見本のように、一ミリのズレもなく並んでいて、エマが笑うと、高価な花が咲いたようで見惚れてしまう。

 エクスの狭い道には、いろんな種類の車止めのポールがあって、なぜだかそれらが好きなエマは、それを見つける度に、その見事な笑顔を見せてくれる。
 
 どんな仕組みなのかわからないけれど、自動で上下するポールを見つけると、エマは完璧に微笑み、それが上がり切るまで、または下がり切るまで、じっとそれを見学している。

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 今夕は、狭い道をトラックが時間をかけて曲がっているのを発見し、うつくしく微笑んだエマに付き合いトラックが曲がり切るまで一緒に見学する。
 そして、その先の道にポールが倒れてるのを見つけ、二人で写真を撮る。あら、このポール、昨日は倒れてなかったわよねとエマがいい、確かに、と私がいい、さも大発見でもしたかのように二人して得意気に笑い、私たちはリーナのいない寂しさを忘れようとする。

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 エマと二人で感じのいいレストランに入り、エマのサラダに入っている肉類をすべて私が平らげるという、もうお決まりになった動作を楽しく行う。日が暮れて、テーブルにキャンドルが灯り、涼しい風が日焼けした肌を心地よく撫でてゆく。

 レストランの客たちのお喋りの声と、給仕係が運ぶ食器の触れ合う音が、夏の夜の穏やかなBGMとなり、さっきまでその辺りにいた正装した人々の姿がいつの間にか消えてしまい、どこかで開演したのであろう交響曲の音色が、遠くから聴こえてくるような気がする。

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 少し散歩しながら帰りましょうかというエマと、レストランを出て旧市街の中心部へ行くと、なんと、ばったり、リーナと出会う。

 うわーっと駆け寄りハグをし、ファンタスティーック! と再会を喜び合う。
 
 リーナの隣りで、にこにこと、慈しむように私たちを見ている素敵な初老の男性が、リーナの旦那さんのマーク。本当はもっと難しい発音の名前らしいけれど、北欧系以外の人には発音出来ないからマークでいいのとリーナがいうので、私たちは早速マークと呼ばせてもらう。

 マークが、あなたたちのことはずっと聞いていたので初めて会う気がしないというので、私たちもそうですといい、四人で一杯飲もうと、昼間には市場だった広場のバーのテラス席に座る。

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 お互いのことは、リーナを通してある程度の基礎知識はあるので、自己紹介は飛ばしていろんな話で盛り上がる。マークは、クロサワ映画の大ファンらしく、私なんかよりはるかに作品のことを熟知していて、いつか日本に行くのが夢だという。いつでも来てください、どこへでも案内しますからと私は意気込み、映画の話の続きに戻り、私はアキ・カウリスマキの映画が好きですとマークにいうと、リーナが、彼はフィンランド人よ、といつもの調子でからかってくる。

 ムーミンもマリメッコもフィンランドで、イケアがスウェーデン。私がいつも混乱する北欧ブランドに、リーナが突っ込みを入れるというのが定番の遊びだったけれど、マークは、日本人がアキ・カウリスマキの映画を好きだなんてそれはすごいと純粋に喜んでくれたので、リーナの鼻を明かせた感じだった。

 私とマークは映画の話で意気投合し、いつか、北欧の国で、凍った湖上に穴を開けて釣りをしたいという私の夢はすぐにでも叶うよと、いつでも遊びにおいでといってくれる。リーナは、今年の冬に来る? と勢い込んで聞いてくる。
 
 私たちは別れ難く、一杯のはずが二杯になり、でも夜は更けてゆくし、マークは疲れているようだし、だからまた明日会いましょうよということになって、明日のフランス建国記念日、すなわちフランス革命勃発の日、全仏で打ち上がる花火を一緒に見ようということになる。せっかくだから早めのディナーも一緒にということになり、私たちは、じゃあ明日、ここに六時ね、ボンニュイ(おやすみ)、アビアントー(またね)といって別れてゆく。

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 幸福感に包まれて、エマと私は同じ家へ帰る。門の鍵を開ける練習をしたいといって大きな鍵を取り出したエマが、何度も何度も鍵を落とすのを笑って見ながら、やっとのことで開いた門をくぐり、私たちはそれぞれの部屋へ帰る。また明日ね、とお互いが隣りの部屋へ帰ることも楽しくて、湯船がないことの不満も忘れ、シャワーを浴びて、明日起きたら二週間前に戻っていたらいいのにと願いながら眠りに就いた。

 七月十四日、テレビをつけるとパリでは軍事パレードが行われていて、フランス空軍はアクロバット飛行を繰り返している。まだ続いていたツール・ド・フランスの、フランス人選手たちの今日のレースにかける意気込みがインタビューで流れている。

 しかしパリの士気は南仏プロヴァンスまでは届いていないのか、ミラボー通りに設えられた舞台では、ゆるゆるとアメリカの曲を演奏しているバンドや、小さな子供たちの踊りなどが披露されていて、露店にはいつもと同じ民芸品やバッグやTシャツやアクセサリーなどが並んでいる。
 それでもやはり人々の浮足立つような気配は街の空気を一変させていて、いつにも増して、行き交う人々の笑顔が積極的だった。

 エマは、別のクラスにいる同じLAから来た知人と急遽一緒に食事をすることになったので別行動となり、リーナとマークと私の三人は、噴水の横にあるレストランへ入り、噴水で冷やしているロゼワインを飲もうということになった。
 リーナが、ちょっと待って、今日はパトロンがいるからいいワインを開けましょうといって、お店のおすすめのロゼワインを頼むと、ウェイターが噴水からいつものワインを取り出してきたので、リーナと私は大笑いして、マークに笑っている訳を教える。

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 私たちは観光客のように写真を撮り合い(厳密にいうと観光客なのだけれど)、ゆっくりと美味しい食事を楽しみ、そろそろ花火が始まるという頃になって、慌ててミラボー通りへ出ると、もうたくさんの人だかりがあって、どこから上がるのかときょろきょろしていると、思いもかけないほど近くから花火が上がって、大歓声が上がる。

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 今日一日のわくわくしたお祭り気分が、花火によって最高潮に達し、世界中から来た観光客たちと連帯感で結ばれる。花火が終わると、素敵だったわねえと、隣りにいる知らない人と握手をし、私たちは人混みにはぐれないよう、リーナとマーク、リーナと私がそれぞれ手をつなぎ、ぎゅうぎゅうに混み合う路地を通って広場まで戻ろうとするのだけれど、行列はなかなか進まない。

 前方で歓声が上がり、なんだろうと思っていると、教会の前にたくさんの人が集まっていて、リーナを先頭に人混みをかき分けて歓声の中心へ行くと、神父が、ものすごいリズムでノリノリに踊っているのが見えた。

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 ちゃんと練習していたのか、若者たちと一緒に、ラジカセから流れるテンポの速いロックに合わせて、神父はぐるぐると踊っている。中には飛び入りで踊っている人もいて、よく見ると、その中に、同じクラスのカミラがいた。神父の後ろで神父の真似をしながら、楽しそうに踊っているカミラの写真を撮って、明日この写真を教室で見せようと思ってふと気づく。

 明日、学校へ行ってもリーナはいないのだ。私とリーナは同じことを考えたに違いない。お互いに顔を見合わせ、悲しそうな顔になる。神父のダンスが終了し、私たちは無言で歩いて広場まで辿り着き、いよいよ、お別れの時間となる。

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 リーナと私は長いことハグをして、離れた時には二人とも瞳に涙を溜めていた。私たちはもういい大人なんだから、子供のように泣いてはいけないと思っていたのに、うっかり溢れた涙が頬を伝い、マークがやさしく私たちの背中をポンポンと叩いてくれるから、いよいよ涙が止まらない。

 夜の街の喧騒を背に、今生の別れのように泣いたあと、私たちは意を決してさよならをいい、アビアントーと手を振って、右と左に歩き出す。

 私は、いつか絶対にスウェーデンへ行くぞと心に誓い、振り向いてはならぬと思いながら振り向いて、リーナの後ろ姿を見て確信する。ひと夏の、一瞬の思い出は、一生の思い出となったのだ。私はリーナを絶対に忘れない。
 
 そうして革命記念日の夜は更けて、私はフランス軍の兵士のようにしっかりと前を向き、腕を振って歩き出した。

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