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アパートメント紀行(6)

ブライトン #6


 まずは街一番の観光名所、ロイヤルパビリオンへ。入場料は十ポンド。外観はインドのマハラジャ風だけれど、中は細部に至るまで中国趣味で、随所にドラゴンがいる。離宮だからそんなに大きくはないけれど、厨房がとても充実していた。ここを建てたジョージ四世は美食家で痛風だったという史実に納得してしまう。
 
 ロイヤルパビリオンの庭園内にあるミュージアムアンドギャラリーでは、古い自転車やレトロでモダンな家具、繊細な磁気のティーセット、古風なドレスから最新の洋服まで、英国の様々な生活道具が展示されていた。
 奥の方に、古い人形劇のセットがあって、社会科見学に来たのであろうか小学生の男の子たちが、我先に人形を取り合い、架空の劇を演じ始めて楽しそうだったけれど、私の視線に気づいて恥ずかしそうに人形をそっと置いたので申し訳なかった。

 二階にあるカフェで食べたチョコレートケーキは私には甘過ぎて、苦めのコーヒーを二杯飲む。帰りにそのままブライトンピアまで行ってみる。埠頭の突端に遊園地があり、遊園地の古い遊具で遊ぶ子供たちの数と、遊園地に辿り着くのに通り抜けなければいけないゲームセンターにあった最新のゲーム機で遊んでいる子供たちの数が、同じくらいで安心する。

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 埠頭のはるか先には、イギリス海峡を挟んでフランスがある。七月にはフランスへ行く予定だ。その頃は暑いのだろう。ゆっくりと夏が来てほしい。ゆっくりと旅をしたい。
 
 ブライトンの主たる観光地巡りは、半日で終わってしまった。アパートまでビーチ沿いに歩いて帰ろうと海岸に降りると、いつの間にかビーチにはパラソルが立ち並んでいて、潰れたのかと思っていたビーチ沿いの店舗が、夏に向けて再開の準備のために掃除を始めている。
 
 見慣れない屋台があったので近づいてみると貝屋だった。ツブ貝やムール貝やエビなどが、アイスクリームを入れるようなカップに入って並んで売られていて、色とりどりの小さな貝がずらりと並んでいる様はとても可愛らしかった。
 
 来たばかりの頃に食べて、二度と食べないと誓ったフィッシュ&チップスのお店を通り過ぎ、ハーレーダビッドソンが集まるカフェでコーヒーをテイクアウトし、遊園地の乗り物のような、現存する世界で最古の鉄道だという二両編成のオープントレインが走るビーチ沿いの道を、てくてくと歩いて家に帰る。
 
 まだ平日は人がまばらだけれど、週末にはすごい賑わいになるのだろう。ビーチ沿いの道には、卓球台も設置されているし、テニスコートもある。気温が上がってきて、この街がリゾート地だということを実感するようになってきた。

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    明日はいよいよセブン・シスターズへ行こうと思う。七人の修道女が海に向かって立っているように見えることからその名がついたという白亜の崖の絶景は、映画の舞台にもなった有名な観光地らしい。
   
 ブライトンからバスで一時間、セブンシスターズカントリーパークというバス停から徒歩四十五分。天候と体力と気力が絶好調の時に行こうと決めていたので、ずるずると先延ばしにしていたけれど、ブライトン滞在があと二週間を切ってから、やっと重い腰を上げようという気になった。完璧な写真を撮るには、満潮と干潮の時刻も調べた方がいいと誰かがブログに書いていたけれど、そこまでするのは面倒くさかった。

    抜けるような青空の下、きらきらと光る海岸線を赤い二階建てバスは走る。当然のごとく二階席の一番前に陣取って、右に海の青、左に山の緑、前方にくねくねと延びる灰色の道を眺めながら、時折バスが入り込んでゆく名も知らぬ小さな町の商店やカフェを上から興味深く眺め、市井の人々の動きを見つめる。
 
 人々は、野菜を買ったりパンを買ったり花を買ったり服をクリーニングに出したり道で立ち話をしていたり、大笑いしたり黙々と歩いていたり煙草を吸っていたりぼんやりと日向ぼっこをしたり、どんな人にも悩みがあって、自分の幸せに気づかなかったり見当違いの怒りを抱えていたり悲しみに囚われていたりしているのだろう。日常を生きるということは、多分そういうことなのだ。

    ちょうど正午に、バスはセブンシスターズカントリーパークに着いた。ショルダーバッグの中にチョコレートと水は入れておいたけれど、空腹では歩けないだろうと思ったので、石造りのビジターセンターの奥のレストランに入った。
 煉瓦で出来た古い民家のようなレストランの中庭のテーブルで、思わず二度見ならぬ二度食べするほど美味しいスモークサーモンとスクランブルエッグを堪能する。感じのいいレストランのお姉さんが、これから行くの? 良かったらこれどうぞ、とセブンシスターズの地図を渡してくれる。

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    美味しい昼食のおかげでとても満ち足りた気持ちになり、元気いっぱいにカントリーパークのゲートを開ける。巨大な白壁のある海岸までは、いくつものゲートを自分で開けてしっかり閉じなければいけないらしい。公園には、牛や馬や羊が放牧されている。
 
 砂利道の遊歩道を歩きながら、緑の匂いに圧倒される。むせ返るような草の匂いに包まれたのは、子供の頃以来かも知れない。草をはむ羊の気持ちがわかるような気がする。人工物がどこにも見当たらない草原を延々と歩いていると、身体中が緑色に包まれる感じがする。
 
 砂利道は途中で、ゆるやかに蛇行する清らかな川と並行する。本能的に水際まで寄り、透明な川の水に手をつける。冷たくて気持ちがいい。水のせせらぎの音が、耳からだけではなく手のひらの皮膚からも体内に響いてくる。
 太陽の光を独占して水面はきらきらと輝き、水底の小石や藻が得意気にのびのびと寝そべっているのが見える。通りかかる誰もが川の水に手をつけていて、目が合うと嬉しそうに微笑み合う。

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    この川の出口まであとどれくらい歩くのだろう。前方には大地と空しか見えない。向こうからゆったりと歩いて戻って来ている老夫婦が、すれ違いざま、もう少しよ、頑張って、と声をかけてくれる。だんだんと左手の大地が隆起して小山になってゆく。
 そこにまばらに生えている全ての木々が、ダリが描いた時計のようにぐにゃりと曲がっている。今はまだ海風を感じないけれど、ほぼ大地と平行になるほど上半身が折れ曲がっている木々を見ていると、この先は人間が訪れてはいけないところなんじゃないだろうかと思ってしまう。遠目からだと盆栽のようにも見える曲がった木々の間に、牛がいるのが見えてきたので、少し安心して先へ進む。

 ふいに、何かの音に立ち止まる。波の音だ。まだ見えないけれど、そこに海があることがわかる。そしてまたしばらく歩いて最後のゲートを開けると、まるで宇宙から見る地球のような色をした海が見えてきた。海岸は、大小様々な石で埋まっていて、その歩きにくい浜辺を必死に進んで波打ち際まで行くと、左手に見えていた小山が突然そぎ落とされ、白亜の断崖となっているのが見えてきた。これがセブン・シスターズか! あまりの荘厳さに言葉を失ってしまう。

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 真っ白い石灰の岩壁は、百メートル近い高さがあり、まるでオーロラのようなひだが連なり、その名の通り、七人の修道女が並んでいるかのようで、厳しくもうつくしい姿でそびえ立っている。足元の悪さをものともせず、吸い込まれるように近づいて行って白い壁に触れると、触った手にうっすらと石灰の白がつく。しばらくは白に見惚れて、圧倒されて白の足元に座り込み、波の音を聞きながら白にもたれて休憩していた。
 
 見上げると、白い岸壁の上に真っ青な空が広がっていて、滅多に囲まれることのない色合いの中で、なんと空気の美味しいことか。身体中の細胞が白を取り込んでいる。何度も深呼吸をして、呼吸が正常に戻ったところでもうひと頑張り。これから上へ登るのだ。
 
 来た道を少しだけ戻ると、誰かが正式な道ではないかも知れない急斜面を登っているのが見えた。もう少し戻ると、急斜面ではないなだらかな登り道があるのを来しなに確認してはいたけれど、正式ではないかも知れない道も、誰かに登れるなら私にも登れるだろう。
 波に侵食されていない急斜面は草で覆われていたけれど、近道として登る人たちによって自然に出来た細道は、人々の足跡で草がはがれ、石灰岩がむき出しになっていた。
  一歩進むたびにうっすら粉が舞う急斜面の道を登りながら、もしかして私は環境破壊をしているのだろうかと不安になる。しかしこの斜面で立ち止まって引き返す方がもっと不安だったので、両手を使いながら、子供の頃以来の四足走行で急斜面を登り切った。

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 崖の上は大草原で、強い風が吹いていた。深い緑の草原と、碧から青へとグラデーションしていく海と、どこまでも続く青空が、強風をものともせず、静止画のようにゆったりと存在している。フェンスもなにもない崖っぷちまで恐る恐る近づくと、カモメが眼下を優雅に飛んでいるのが見え、めまいがしそうになる。
    崖っぷちの手前二メートルのところでしゃがみこみ、カメラを落とさないよう力を込めて握りながら、また四つ足になって崖の手前一メートルの地点まで近づいていく。それから先は、腹ばいになっての匍匐前進。手を伸ばし、眼下にフォーカスを当ててカメラを覗くと、ファインダーの中には、白と青しか存在していなかった。

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    崖っぷちの白と、太陽の光が波に反射して光る白、下方から上昇気流にのって浮かんでくるカモメの白。崖っぷちまで行った証拠写真をカメラに収めた後、腹ばいのままずるずると後方へ三メートルほど下がり、仰向けになって大の字になる。今、宇宙から地球を見ている人がいたら、きっと目が合うに違いない。

 今の私には、美術館や博物館で芸術作品を鑑賞することより、大自然の中で深呼吸をすることの方が、ぴったりくるようだった。イギリス海峡の、七人のシスターの上で寝転んでいることが、とても正しいことをしているように感じられる。
 
 空から陸地へ視線を移すと、遠くで点々と動いているものが、牛なのか人間なのか全くわからない。草原を移動しているものは全て動物で、全ての植物は土とつながっている。私もまた動物であり、そして植物でもあるのかも知れない。
 
 そんなことを考えながら立ち上り、ゆっくりと三百六十度回転する。もうカメラは必要ない。目から見たものを、しっかりと心に焼きつける。私はきっと、この風景を一生忘れない。

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    さあ、また四十五分かけて来た道を戻り、バスに乗ってアパートへ帰ろう。帰り道、気持ちがとても満ち足りていて、素敵な服をバーゲンでたくさん手に入れた時より、絵が売れた時より、恋愛が成就した時よりもはるかに強い幸福感に満たされていた。
 
 十五分ほど遅れて来たバスに乗り込み、バスの車窓から見える景色が、だんだんと都会になってきたところで私はバスを降りる。都会とはいっても、ロンドンと比べると格段に田舎なのに、比べるものが大自然だと、集合住宅が建っているというだけで大都会に思える。
 
 私の部屋のリビングでは、ルックが悠々とくつろいでいた。近頃は、出かける時もキッチンの窓は開けっ放しにしている。ルックがいつでも入って来られるようにという意図もあるけれど、万が一、部屋の鍵を持って出るのを忘れた時に、アビーとデレクの部屋から、ルックの動線を使って自分の部屋に入れるなという下心もあった。しかしもうこの部屋は、私のではなくルックの部屋のようだった。

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