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漂流(第四章⑥)

第四章

6.
聡子を救ってほしい。宮本の懇願に光男は戸惑った。そもそも自分は何度も彼女に救われている。聡子が居なかったら今頃どんな人生を歩んでいるか分からない。その彼女を救うなど今一つピンとこない。
「どういう事ですか?説明してください。」
光男は思うままを宮本にぶつけた。彼は少し躊躇したが、直ぐに気を取り直し光男に向き直った。
「落ち着いて聞いて欲しいのですが……彼女には健忘症の疑いがあります。」
「健忘症って……」
光男はやや呆気にとられた。健忘症と言えば老人がなる病気では?まだそんな年齢ではない。
「疑問に思うのも無理はありません。私も最初はその考えを否定しました。」
宮本はやはり語りづらそうに、言葉を断続的に絞り出していた。
「彼女の場合、日常生活には特に影響はありません。だからこそ非常に分かりづらかった。ある特定の部分だけ断片的に記憶が抜け落ちてしまう。これは非常に強いストレスが要因となるケースが多いそうです。」
光男の反応を見ながら宮本は続けた。
「北村さんも感じた様に、健忘症と言えば老人というイメージを持つ方が多い。これは認知症と混同されている部分が大きいと思います。認知症は何かを忘れている事そのものを忘れています。つまり忘れているという自覚がない。それに対して健忘症は、何かを忘れているという自覚はあります。その何かをどうしても思い出せなくて苦しむのですが……。」
ここまで説明を受けても全く理解できない。聡子に関係する事だとはどうしても思えなかった。宮本も光男の反応に関してある程度想定していたらしく淡々と先を続けた。
「では、その強いストレスとは何か?恐らく幼少期のものであると私は推測します。その根拠としては、貴方の裁判を請け負ってからでしたから。健忘症らしき症状が現れたのは。」
光男の表情を確認して更に先を続ける。
「当時私は、早川聡子弁護士をサポートする司法修習生でした。彼女は優秀でありながら、どこか人生を諦めてしまっている様な所がありました。それ故に相手の反応を気にせず、淡々と仕事をこなしている印象でした。彼女に変化が現れたのが北村さん、貴方の案件を引き受けてからです。事件そのものというより、自らの幼少期について調べる事が増えた。当時の所長だった秋山ともよく密談をしていました。」
光男はここまで聞いても話の趣旨をよく理解出来なかった。しかし本能的に、光男の母親に関する事、聡子の健忘症、秋山が死に至るまでの経緯、それらが繋がっているのでは?という感覚を、宮本の雰囲気から感じ取っていた。


第四章➆に続く

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