もしかして、共感力がついている?
「あの、虚無感を感じていませんか?」
アセスメント(聞き取り)の時、そう質問したことがあります。
なぜなら、聞き取りをしているときに僕が虚無感を感じたからです。
共感力とは
共感力とは、のび太くんのように、人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができるとこだと思います。
とても嬉しいことに、この仕事をしているうちに、僕には共感力がついてきたように思います。
アセスメントの時は、いつも辛い過去を聞き取ります。時に涙を流しながら、想いを伝えられます。僕も心の中で共に悲しみ、そっとティッシュを差し出します。
精神保健福祉士の仕事は寄り添うこと
僕の実習を担当してくださった、ベテラン精神保健福祉士さんが、言って下さった言葉です。
支援に迷った時、いつも僕は、この言葉を原点だと思って、振り返ります。
何をして差し上げたらいいんだろう。どうして欲しいんだろう。言葉も話すことができない、頷くこともできない方を支援する時。そんな時、ただ寄り添い、その方のそばに佇むのです。
例えば、右手を動かすことだけができて、言葉は「いや」しか話せない児童の支援をしていたことがありました。視覚にも障がいがあり、触れることでしかコミュニケーションが取れません。
そんな時、僕は寄り添うことを思いました。
胸に僕の耳を当てて、母親のように、優しくその方の肩を、ポン、ポン。と触れます。
すると、「イヤイヤイヤ」と、泣いていたその方が、笑顔になられました。天使のように、無垢で優しい笑顔です。心の底から、救われる笑顔でした。
少しずつ理解してきたのですが、その方は、右手を動かすことが、遊ぶことだったと思います。ですが、右手を動かすと、自分の頭を叩きます。遊ぶと、痛い。その繋がりがわからないんです。
自分を叩くのは、自傷行為です。止めざるを得ないんです。すると、「イヤイヤイヤ」と泣き出されます。
放課後当デイサービスは、障がいのある児童の遊ぶところです。
だから、僕たちは児童が遊ぶ支援をすることが仕事です。
触れることが、彼にとって、遊ぶこと。それに気づいた僕は、彼の体を揺らして差し上げました。
また、溢れるような笑顔になられます。キャッキャっと笑い出しました。
寄り添うとは、こういうことなんだ。
改めて、そう感じました。
共感力は、まるでテレパシーのよう
僕は、基本的に、現実的で論理と科学に基づく支援を心がけてきます。
ですが、いつからか、聞き取りをしていくうちに、自分ではない感情が、心の中に湧き起こってくるような感覚を感じるようになっていったんです。
そこで、意を決して利用者さんに聞いたんです。
「あの、虚無感を感じていませんか?」
「ええ、ああ、はい」
天涯孤独なその利用者さんは、そのことを認められました。
たまたまかもしれません。僕自身は、勘が良いと言っていただくこともあるので、ただそれだけかもしれません。
理由はなんでもいいんです。支援として、利用者さんの役に立つなら、なんでもやるのが支援者だと思います。
どうやって共感力を身につけるのか?
先述の、説明のできない共感力とは少し違う、より現実的な共感力の身につけ方について、自分なるの方法論を展開させてください。
①傾聴する。
②適宜、確認する。
③こちらから見える、本人の表情、論理の矛盾を肯定的に指摘する。
④ありのままの自分で良いという意見を伝える。
①は聞き取りの基本だと思います。
②は、勘違いや思い込みを防ぐのに必要です。
③について。本人の気づかない、本人の感情がある時、その発言には矛盾がある時が多いです。人の心には、矛盾した干渉が併存する時があると思います。それを指摘すると、納得され、症状が改善されることは多かったです。
④無条件の肯定的感情。それぞれ違ってそれで良い。多様性という、あるがままの現実を、共に認める。これが、ご本人の自己肯定感を上げると考えています。
どれも、臨床家の経験則であり、検証されてはいません。ですが、もし、よろしければ、支援者の方々に試していただきたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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