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6.線を超えたとわかっていながら

イルミネーションを見て、カフェでおしゃべりして、お互いがお互いを必要としていることに、気がついてしまった。

メッセージのやりとりは、帰宅後にやりとりするようになった。お互いの立場を「終えて」帰宅し、私は晩酌を、彼女は「母親」を一段落する頃に徐に始まる。

今日の仕事の小さな失敗、成功、笑い。お互いが、お互いを欲していたようにメッセージは続けられる。翌日も、その翌日も。

いつしか、明確には描かないが、自ずとお互いの気持ちを確認するようになった。そして、声が聞きたいな、とお互いが言い出した。
時間を決めて電話を始めた。
毎日のことに加えて、自分自身を振り返るようにそれぞれの人生、思い、過去を話す。
自分をことを、徐々にさらけだす。。

何を大切にしてきたか
何が好きで、何が嫌いか
どんな将来を思い描いて生きてきたか
そして、何を後悔しているか
子どもへの思い
親への感謝


自分らしく生きるということは、自分の思っている方へ、そして前へ進むことだが、現実は甘くはない。思い通りにならない方が多い。一つ手にすれば、もう片方はこぼれ落ちる。前に進んだと思えば、周りの方が先に進んでいるなんてことも。
欲張ると何も手に入らないが、欲しないと何も手に入らない。前に進むことだけが前進とは限らない。そこで立ち止まる勇気も、場合によっては必要だ。

しかし、二人とも我慢をずっと続けてきた。。。
長い間

二人ともいい大人。
人生の折り返しは、もう過ぎた。子どもや年老いた親を考えれば、与える立場であることも十分に理解している。

でも、愛されたいと思ってしまった
もう少し、愛されたいと思ってしまった

こうやって、恋におちた

声が聞くだけで、心が弾む
そして穏やかになる
こんな自分でも、肯定して良いと思える

声は不思議と、安心感をもたらしてくれた。
夜寝る前のその声は、その日の苦労を吹き飛ばし、安眠を導いてくれた。

これまで、ベッドに入っても翌日の天気だの、株式だの、アメリカやEUのニュースなどをスマホで漁って、時間を潰していた。それが、楽しいおしゃべりになったのだ。

沼に落ちないわけがない。
自らが引いていたその線を、自ら超えて沼に落ちてしまった。

おしゃべりが毎夜続き、結局、二人で会うことにした。
彼女は日頃から、週末には友人とランチするようで、日中に出かけることは子供たちにとっても普通らしい。

初めてのデートは、お互いの家からそれぞれ遠いショピングモールになった。週末のお昼時のスーパーは、中年の男女が一番紛れる場所だ。周りを見ても、家族連ればかり。そこそこ大きい店だったから、レストランもそこそこ多い。


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