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4.家族

イルミネーションなんて、見ないよ、寒いし。
だいたい、このご時世に人混みに行くの?風邪ひくよ?


街中が、ジングルベルやイルミネーションに彩られる頃、我が家ではこんな会話が成立する。そもそも、クリスマスのプレゼント、もう頼んであるから大丈夫って、身も蓋もない会話も聞き飽きた。

そんな会話、何かをあげられると思っていたうちは、会話にも艶があったような気もするが、そうこうするうちに家族との距離が開いていった。

転勤の多い会社に身を置き、単身赴任を前提で家を購入。その家は妻の実家の近く。。。何をするにしても、妻の実家に近いというメリットは大きい。結婚してからも転居を繰り返したため、その意味で妻には本当に苦労をかけた。子育てとも重なって気苦労も絶えなかったと思う。そんな妻を見ての選択だった。

「亭主元気で留守がいい」
これである。実際、妻は自由を謳歌している。ジモティーに返り咲き、近隣の奥様方からも羨ましがられていたので、私としても、まあいいことをしたと思っている。

そうは言いつつ、家族への想いはだんだんと変化する。
家族のために懸命に働いている。やりがいもある。しかし、家族はだんだん感謝をしなくなる。当たり前になってしまう。子供も妻も、朝早く・夜遅いという昔ながらに働く「お父さん」を目にしていない。ありがとう、ご苦労様、の言葉さえ言ってもらえなくなったのは、正直寂しかった。

確かに単身赴任の自由は、自分も享受している。しかし自由のある生活は、ある意味で孤独だ。仕事して睡眠のために帰る。コロナもあって、仲間と呑むことや、ランチすらも制限されていた。個食、黙食、三密回避。

向こうは向こうで、大変な生活だったと思う。学校が混乱していたし。理解はできるが、孤独の中で生活をしていると、家族への想いはあれど違和感が生じてしまう。

おれは何のために働いているのか。

その時の違和感が、自分を壊した気がする。コロナの対応で多忙を極めて、かつ業績が下がると、働くことで見出していた自分の存在意義も薄れてしまう。働くモチベーションにしていた家族への愛情も、バランスを失ってくる。いろいろと見失っていた。

久しぶりに帰った時だった。子供も大きいので何かを話すわけではない。家族3人で食事が済んだら、スマホを持って自分の部屋に行ってしまった。妻も同じく、ダイニングを離れてソファでスマホ。

食後にウイスキーを飲んでいても何の会話もない。
正直に言えば、久しぶりにいろんな、他愛のない話をしたいと思っていた。不在の間の何か、なんでもいい。自分は職場と部屋の往復で、そもそも会話なんてしていないのだから(特にこの時期は、テレワークも勧めていたし、出社しても雑談すら制限されていた)。

目の前の家族と過ごしていながら、初めて孤独を感じた。
自分の自宅に居ながら感じる孤独。

目の前に愛する家族がいるのにも関わらず、何の会話もない。なんのコミュニケーションもない。酒も手伝って、俺は誰のために働いてるのか、そう感じてしまった。

幸い、会社では高い評価を頂いている。自分を殺し、生産性が叫ばれる中、あえての長時間の労働も厭わない。部下を育て、支援し、顧客に感謝され、懸命に会社に尽くしている。この仕事も会社も大好きだ。だからこそ、転々と異動することを受け入れ、異動先で好業績をあげてまた異動する。私生活は、職場とアパートの往復であり、数年で離れるから社外の友人もなかなか出来ない、作らない。単身赴任先では、あまりに孤独だ。そんな孤独を許容して、仕事に邁進してきた。

そんな、生活の中で、大切な言葉が救ってくれた

自分の気持ちくらい大切にした方がいいと思うよ。


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