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コミュニケーションの難しさ

さっき、結婚に関するもにょる云々を書いたけれども、少し自分に不正直だったなと思って反省している。
第一に、たぶん私はこういう市場的な結婚がそもそも好きではないのだ。世の中は、(アメリカとかは行ったことがないので知らないが、)こういう風に出来上がっている面が極めて大きいなと、日本の婚活機関に登録した時に私は思った。というのが正確なところであって(あれはある種のゴルフの会員権争奪戦である、)しかし世の中には、普通に恋愛して普通に結婚してゆく男女も、確か、何かのデータによると三割はいるらしい。三割は少ないなと思ったが、つまりその結婚が継続する率なのかなあ、それが三割くらいらしい。その説によれば、日本人の中で、恋愛結婚をする能力があるのが全体の大体三分の一らしい。あとの人間は、過去には見合い制度があったので、それで片付けられていたらしい。
実は私が過去に結婚を持ちかけられた人は、見合いとか、同窓生達の紹介とかそういうパターンばかりだった。つまり過去の私は、恋愛能力があんまりなかった。正確には、結婚に繋がる恋愛をする能力がなかったのだ。それはそうだ。だって、至極面倒な父親の世話をずうっとしていて、そこから逃げ出したいので相手を探していたからだ。
しかし人間は、同じようなオーラを発している相手を捕まえて来るので、現実に私と結婚を考える人というのは、ものすごいマザコンの男性ばかりだったのだ。
正確には、いわゆる正統派(?)のマザコンではなくって、強い怖いお母さんから僕は逃げ出したいです。という人が多かったように記憶しているが、普通人間は、そういう人の脱出を手伝わない。まあ、稀にだろうか。小室圭&眞子様のようなカップルも成立しているけれども、あれは巨額の富と、皇室という特殊な環境破壊兵器が合体した稀有な例かと思う。私はそういうのは面倒だった。
人間は自分が歩いて来た地点で相手と出会う。そこで、それまで積み重ねて来たものが試される。それは、表面的な対人スキルではなくて、自分以外の人間をどこまで尊重できるかという問題なんだろうなと、私は思う。

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