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恋愛と結婚について(私個人的な意見です。見解には諸説あります。)

夫は,中学一年生の時の同級生だ。クラブも卓球部で一緒だったが,おはようとかの挨拶とか,うん,とか,はいとかしか話した事がない。
名前も顔も覚えていたが,同級生で,気が弱く,たまにあんまりタチの良くない男子が苗字の事で,からかっていたので,同じくらい珍しくて,いじられやすい苗字の私からすると,ちょっと無視する訳にいかず,男子に怒りに行った事はある。

でも,好きな男子は違う同級生だったので,夫の事はアウトオブ眼中だったんですよ。

ただ,一回だけ,私に卓球のラケットを貸して欲しいと言われて,一晩中学一年生の夫が私のラケットを借りた事をずっと覚えていた。
結婚した時に,聞いてみたけど,忘れたって誤魔化されたよ(笑)

私は女子校へ,夫は工業高校へ進み,人生も変わってしまった後に,あったんですよ。

私は,高校卒業後,すぐ働いていたが,家でいろいろあったため,酒と恋愛依存,いろいろ重なって,シングルマザーになった。

その間もいろいろありましたがそれは別の機会に。

息子も18歳になり,独立して寮暮らしになり,
私は,母と暮らす事になった,
子供が20歳になった時,それまで,有給がある会社だったが,なかなか休めない状況だったが,,東北震災の電力使用の関係で,休みが増えて,それで,時間ができた。

子供も手が離れたし,自分の人生を考えてみようと思い,とある婚活パーティーサービスに登録した。

ある時に,私の年齢的に合うパーティーがあると連絡がきた。県の会議室で,婚活パーティーが行われ,
その時,初対面だったがなぜか気の合うSさんという八歳年上の人と会った。

実は,その人は子供の地区の通学班の班長のお父さんの実弟だった。
バツイチで夫婦で同じ会社に勤めていて,その奥さんが会社の人とかけおちしてしまった人だった。
しかも,その奥さんのお姉さんは,私が十八から二十歳くらいまで働いた会社にいた人で,私も知っている人だった。

彼には,当時,大学生の息子と,中学生の男女双子の子がいた。しかも,片方の男の子は中等程度の発達障害があり,支援の施設や訓練があまりうまくいってない状態だった。
本当は婚活パーティーで知り合ったのだから,結婚に向けてうまくいかなかったら,3ヶ月程度で,ごめんなさいをしても良かったのだけど,
お互いに気が合ったのと,私の母の猛烈な反対があったりして,反対に,そこから恋愛になったのだと思う。

そこから,いろいろまたあったのだが,今回は夫の話なので,また,別の機会に,書こうとと思う。

結局,7年程付き合って,Sさんに,私の方から別れ話をした。
なぜかというと,結婚したかったから。

結婚しても,仕事は同じ会社で続けたかったし,仕事は辞めたくなかった。
息子は今と違って,まだまだ私にめちゃくちゃ怒っていて,でも,Sさんと結婚したら,多分,息子は俺は,ひとりぼっちになったと思うだろうなと思ったから。

彼は自分の血の繋がった家族しか愛せない人だった。
前の奥さんもある時に,それがわかったんだと思う。
説明しにくいけど,私の転職や,私の家族の大事な事で話をした時に,別に結論は私が出すのだから,アドバイスをたずねただけだったのに,大人が考えることだから,と何度かはねつけられたのだ。

自分の時は話を聞いて欲しいのに,私の時はそうじゃないっていうのはなんかおかしいよなぁと納得いかなくなってしまった。

結婚って,条件と現実だと思った。
多分,Sさんは,自分の仕事とかの現実から少し離れたいと思った場所が私だったんだと思う。

夫とは,卒業後全く会う事はなくて,私の弟が私より中学時代,夫と話をしていて,たまに,夫の名前は出ていたのだが,それだけだった。
でも,私が46歳くらいの時に,たまたま母に頼まれて個人の電器屋さんの展示会に行った時に,夫がメーカーの営業でいた。
まだその時も,ちょっと話をしただけで,終わった。
何回か展示会であって,そのあと,会社に行く途中の道でも何度かすれ違ったのだ。
だけど,もう結婚してると思っていた。
全然タイプじゃなかったし(笑)

Sさんと別れて,婚活パーティーにも疲れて,もうしばらく結婚なんていいやって思ってた。
その個人の電器屋さんの奥さんから,夫が独身で,良かったらお茶ぐらい飲んであげて!と話を聞いてた時に,
近くのダイソーで,夫と顔を合わせた。

一旦,挨拶をして別れたのだけど,待てよ,お茶ぐらい誘っても良いかな?とセカンドストリートのレシートの裏にスマホの番号を書いて私が,渡したところから,結婚に至った。
結婚は,逆ナンパから始まった。🤣🤣🤣

夫は,嫁か母親かどちらを選ぶかとしたら,僕は貴女を選びます,と何回か言っていたのと,
結婚の具体的な話がすぐ出たので,この人は現実を一緒に考えてくれる人だと思った。
実際,母が結婚話と同時進行で,乳ガンの手術や治療の時も車を出してくれたり,いろいろ力になってくれた。

一番は,私が私でいれた事。
カッコつけようが何しようが,中学時代を知られているので,自分で良かったのが楽だった。

婚活はある程度ルックスもきれいにして,自分を良くみせる演出も必要だし、無理してる部分があったので。

好きなテレビや,映画や,漫画とかも気が合ったし,
話をしていて気を使わなくてよかった。

5月に出逢って,11月に入籍したのだから,かなりのスピード結婚だった。

まさか,こんな形で,こんなに早く空に行ってしまうとは思わなかったけど,ケンカもたくさんしたけど,
病気になるまでは温泉もたくさん行ったし,カラオケも行ったし,伊豆や奈良や京都にも旅行したよね。
焼肉も好きだったから,よく貴方に付き合って,食べに行ったよね。

本当は,僕は貴女のそばにずっといます。のプロポーズ通りに,おじいちゃんになるまで元気でいて欲しかったけど,病気が痛くて,大変だったから,仕方ないかな。

最後に,今まで付き合った人は,なぜかずっと一緒にいる気がしなかった。
夫だけ,もし,この人がいなくなったら,多分,私は体調崩すんじゃないかなあーと思った人。
運命の出会いとか,かけおちしても一緒になりたいとか,ドラマみたいな激しい恋の相手ではない。

だけど,ずっと家族や兄妹みたいな,空気や水みたいに生きていく時に普通に周りにいる人だったと思う。

だって,夫の家族も嫌がる夫の大いびきを気にせず,入籍の日から,毎日,隣りのベッドで私は熟睡していたのだから。




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