薔薇の花

2020年ブックレビュー『対岸の彼女』

人と人が親しい間柄として付き合うって、どういうことなんだろうと、この年になっても考える。40の坂を越えると新たに出会う誰かと付き合うのが面倒になってくる。旧友でも、選んで付き合うようになる。

先日も、「新年あけまして」のスタンプをポンとlineで送ってきた古い友人がいた。もう付き合いをやめていた。再会したいとは思えなかったので、申し訳ないけど放置した。それっきりだ。何と思われようと、それでいいのだと思うことにした。

角田光代さんの「対岸の彼女」は、立場が違うふたりの女性の出逢いとすれ違いを描いている。一人は専業主婦から社会復帰をしようとする小夜子で、もう一人は小夜子が勤務する会社社長の葵。物語は「小夜子と葵」の物語と、「葵と、彼女の高校時代の親友ナナコ」との物語ーが交互に語られるスタイルで進行する。

葵が小夜子に投げかける言葉の中に、こういうのがある。
「私たちの世代って、ひとりぼっち恐怖症だと思わない?」
「ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね」。
葵の言葉や考え方は、ナナコとの友情と、悲しい別れの経験から生まれたものだ。ナナコとの体験が、葵という人間の根底に沈んでいる。

そして、小夜子もその他大勢を気にして「ひとりぼっち」を怖がる母親の一人だったのだ。葵と出逢い、一度は考え方の違いから決裂するものの、勇気を出して「ひとりぼっち」を恐れない人間として、葵と出逢い直しをする。

今の子どもたちはどうなんだろう。
いや、もしかすると同調圧力が高まっている今の子どもたちの方が、「ひとりぼっち」を怖がり、過酷な毎日を過ごしているのかもしれない。

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