2020年ブックレビュー『一切なりゆき~樹木希林のことば~』
こういったら悪いけど。
最近、樹木希林さんで商売している人が増えているみたい。
生前の発言を集めた本なら納得もできるけど、展示会の開催やTシャツ、トートバッグのグッズ販売まで。
当人は、さぞかし困惑されているような気がする。
2019年のベストセラー1位となった希林本「一切なりゆき」を読むと、「私で商売するなんて、やめなさいよ~」とぼやいている希林さんが目に浮かぶって、どうなのかしら。
朝日新聞読書欄(2019年12月28日付)に、ライターの武田砂鉄さんが「今年売れた本」を紹介している。その中で、希林本と希林さんについてこう触れている。
「生前、一度だけじっくり話す機会に恵まれたが、自分について語ること、あるいは語られること、まとめられることへの警戒心を強く持っていた。世間体を無視して、自分で考えて生きる姿勢が、同調圧力が一向に改善されない日本社会のよりどころとなった。繰り返すが、彼女は『自分で考えてよ』と言っていたのだ。樹木希林があちこちで頼られすぎた1年だった」
希林さんの言葉のひっかかり具合は人によって違うだろうけど、私にとっての名言はやっぱり人間の「欲」についてだろうか。
「求めすぎない。欲なんてきりなくあるんですから」
現代人には「アンチエイジング欲」「物欲」「自己顕示欲」など確かに切りがないのだけど、SNSでそれを前面に出す人がいて、だからとりわけ、こういう言葉が今の世に響くのか。執着がない生き方は、潔くていい。
そういえば、こういうのもあった。
「『私が』と牙をむいているときの女というのは醜いなぁ」
「…なんでも「私が」「私が」という。世の中が「私が」を主張するようになってきたということは、そういうことをしないと自分がいることが確かめられないという心もとなさなのかなと思うんです」
「自分で一番トクしたなと思うのはね、不器用と言うか、不細工だったことなんですよ」
美しい人ばかりの芸能界で、役者として自分の器量がトクだった、という言葉からは、NHKドラマ「夢千代日記」の「菊奴」が脳裏に浮かぶ。逃亡中の男にお金をだまし取られた末に捨てられた菊奴は、一人でたくあんをボリボリ、お茶漬けをすするシーンがある。
「美人がやったんじゃ悲しくないんですねぇ」
…にしても、やっぱり謎めいているのは、別居婚だった夫・内田裕也さんとの関係。とんでもなく困らされた存在だったろうに、
「内田とのすさまじい戦いは、でも私には必要な戦いだった」
「実は救われたのは私のほうなんです」
この境地になるまでに、どれだけの時間、あれやこれやと考えたのか、はたまた…日々を懸命に過ごしているうちに、そういった心境になったのか。
あとがきも兼ねた喪主代理の挨拶で、娘の也哉子さんがこう記していた。
「…「なぜこういう関係を続けるのか」と母を問い詰めると、平然と「だってお父さんには、ひとかけら純なものがあるから」と私をだまらせるのです。
そして、
「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」
何はともあれ、希林さんにしか言えない言葉だ。
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