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「自分らしさ」という言葉に苦しんできた

ここ数年、日本でよく「自分らしさ」という言葉を聞くようになった。

「自分らしく生きよう」
「自分らしさを大切にしよう」

私も自分らしく生きてきたつもりで、よく「自分らしく生きる」という言葉を使ってきたけど、どこかでその自分らしさに苦しんできたような気がしている。

日本は学校でみんなと同じように授業を受け、みんなと同じことをして、みんなと同じようにできる子が「良い子」、そして逆にみんなと同じことができない子は、少しそこから外れている「悪い子」だとされているような気がする。もちろん誰かがそれをはっきり言うわけではないけど、みんなと同じことをして同じことを言っていないと、何となく許されない世界だった。

でも、いつの間にかそれが私の普通になっていて、その普通の中にいることに違和感も感じなかった。そして私はどんどん人の目を気にするようになっていき、何をするにも何を言うにも、周りの人の顔色を気にするようになっていった。

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ここ数年は自分の好きなことをして、それが仕事にもなったりして、それはたしかに楽しかった。でも、たくさんの人に「自分らしく生きていてキラキラしてるよね」と言われる一方で、周りの人が背中を押してくれないと何もできないところは何も変わっていなかったし、周りの人にそう見られているから「自分らしくいないといけない自分」みたいなものに、何度も何度も押し潰されそうになったりもした。

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そんな私がアメリカにきて2週間。

すでにいろんな国籍の人に出会ったけれど、アメリカにきて出会った人はみんな自分の考えを持っていて、それを何も恐れることなく言葉にする。それが合っているとか間違っているとかは誰も気にしていなくて、何を言っても受け入れてくれる環境がしっかりとある。

もし誰かが、正解がある問題に間違った解答をしたとしても、それすらも否定しない。「そっか!それもありだよね!」と言えてしまう。

私が「今まで知らなかった世界」だった。

語学学校の授業の中でたった5分の1つのニュースを見た時も、現地に長年住んでいる日本人ばかりで集まった時も、彼らは「今感じていること」そして「これから自分がどうしたいか」をはっきりと言葉にし、何も恐れることなく強く訴えていた。

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日本の教育や環境がすべて間違っているとは思っていないし、素敵な文化のある日本は大好きだけど、間違いなく私は日本よりも「生きやすさ」を感じるし、日本でなんとなくいつも感じていた「生きづらさ」がここにきてはっきりとわかった気がした。

まだまだ私の中で「自分らしさ」に対する答えはないけど、私はこの場所で、生まれて初めて「自分らしさ」を感じることができるのかもしれない。

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