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「二次創作やめて」はワガママではない(2)

時間が経ってしまったが、以下の記事を読んでショックを受けた。

この記事を読んで映画『フィールズ・グッド・マン』を思い出した。自分の描いたキャラクターが、世の中で勝手に使われるようになり、人種差別的なイメージとともにキャラクターを拡散し、最終的にヘイトシンボルとして名誉毀損防止同盟という団体に認定されてしまったというものだ。引用ばかりになって恐縮だが、以下は映画について書いた記事である。

もちろん日本の同人誌業界での二次創作問題とは異なるものだが、「他人に自分のキャラクターを無断でもてあそばれる」という点において共通する。そしてもうひとつ共通することが、「作者がとても傷ついている」ということだ。

過去の記事(注)において、私も「セーラームーン」のうさぎちゃんを無断で描いているが、かつては私も二次創作として同人誌を作り、イベントで売っていたことがある。しかも、BL(ボーイズラブ)ものだった。当時の言い方(今も?)で「やおい」の作品だった(それほど過激な表現はしていないつもりだが)。

そもそも、なぜ人は二次創作をするのか。SNS上で、フォローするつながりの中にいると見えにくくなってしまうが、学校生活、あるいは職場で、「漫画好き」というのはあまりいないものだ。あくまで私見だが、アイドルやスポーツの話はしやすくても、「漫画が好き」言いづらいことがある。自分の秘密にしている人にとって「誰かと分かち合える」という喜びは相当なものだ。そんな中で、「二次創作」というジャンルがあることを知る。お気に入りのキャラクターを動かして、その表現(特に性描写)が過激になればなるほど人が喜ぶ。実際問題として、お金儲けをしたいという欲求ではなく、「自分の居場所を見つけて嬉しい、楽しい」という気持ちなのである。妄想であるがゆえに、実在の誰かを傷付けるわけではないし、これだけ大きな規模で誰もが楽しんでいるものについて、罪悪感を持たないというのも考えてみれば当然だろう。

しかしながら、二次創作で扱うのは想像上のキャラクターであっても、それを生み出すのは生身の人間である。私も漫画に描く登場人物たちは、他人がどう思おうとも自分の子どものように可愛いものだ。「勝手にいじるのはやめてほしい」という思いは自然なものだし、先に挙げた記事によっても可視化されている。

著作権法上厳密な話をするならば、雑誌の「読者からのお便りコーナー」に、読者が描いた漫画のキャラクターの似顔絵を編集部が掲載することも「複製権侵害」「翻案権侵害」に関係する。しかしながら、それに感激しこそすれ、悪い気持ちになる漫画家はまずいないだろう。二次創作の同人誌にしても、キャラクターに残酷な仕打ちをしたり、性行為をさせたりするのでなければ、漫画家にしてもそれほど不愉快になりはしないのではないか。もちろん、それとて、他人が無断で作品を作っていいという根拠はどこにもない。

もともと二次創作で作品を出していた方が作家デビューした、というケースを根拠に二次創作の妥当性が語られることがあるが、オリジナルという縛りがあっても、そういう人はいずれデビューするのだと思う。オリジナルを生み出す力量がなければそもそもデビューはできないのだから。真似をするのは技術の習得、成長に必要なプロセスだとは考えるが、それを売ったり、公に発表したりする必要は別にない。なお、KADOKAWAは「コミケを認めるスタイル」を取っているそうだが、著作権は著作者が譲渡しない限り出版社にはない(※)のである。たとえ譲渡したとしても、作品を改変されない権利は作者に残る。なお、出版社が出版物の利用についてのガイドラインを設けることがあるが、個別の作家に負担をかけないという側面はあるだろう。

これまで作家は巨大なマーケットの商品である二次創作作品について、受け入れることを余儀なくされていた。「権利を主張しないのであれば放棄したものとする」という考え方も法律にはあるけれど、多くの作家にとって「怖くて言えない」のが実情だ。これまでお目こぼしされてきた二次創作業界だが、私は変わるべきときが来ているのではないかと思う。もし妄想で作品を作りたいなら、あくまで内輪で楽しみ、SNSやブログには投稿しないという手段もある。自分自身の楽しみを失ってしまうことがあっても、その楽しみは誰かの犠牲が前提であってはいけないはずだ。漫画を愛し、それを生み出す人々に敬意を持っている人にならわかってもらえると信じている。


本記事は2020年12月2日に公開した以下の記事に関連して(2)としている。

※職務著作であればKADOKAWAが著作権を持つが、KADOKAWAからリリースされる作品がそうとは考えにくい。

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