日本キリスト改革派岡山教会 2023年11月12 日礼拝説教(ヨハネによる福音書8章21〜30節)

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◎聖 書:ヨハネによる福音書8章21〜30節
◎説教題:「真実に遣わされ、真実に去る」
〜神の御心のなかを生きるイエス〜
◎説教者:柏木 貴志 牧師


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12人の子よ、あなたの同胞に言いなさい。正しい人の正しさも、彼が背くときには、自分を救うことができない。また、悪人の悪も、彼がその悪から立ち帰るときには、自分をつまずかせることはない。正しい人でも、過ちを犯すときには、その正しさによって生きることはできない。
13正しい人に向かって、わたしが、『お前は必ず生きる』と言ったとしても、もし彼が自分自身の正しさに頼って不正を行うなら、彼のすべての正しさは思い起こされることがなく、彼の行う不正のゆえに彼は死ぬ。
14また、悪人に向かって、わたしが、『お前は必ず死ぬ』と言ったとしても、もし彼がその過ちから立ち帰って正義と恵みの業を行うなら、
15すなわち、その悪人が質物を返し、奪ったものを償い、命の掟に従って歩き、不正を行わないなら、彼は必ず生きる。死ぬことはない。
16彼の犯したすべての過ちは思い起こされず、正義と恵みの業を行った者は必ず生きる。
17それなのに、あなたの同胞は言っている。『主の道は正しくない』と。しかし正しくないのは彼らの道である。
18正しい人でも、正しさから離れて不正を行うなら、その不正のゆえに彼は死ぬ。
19また、悪人でも、悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、それゆえに彼は生きる。
20それなのに、お前たちは言っている。『主の道は正しくない』と。イスラエルの家よ、わたしは人をそれぞれの道に従って裁く。」

エゼキエル書 33章12節〜20節

21そこで、イエスはまた言われた。「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」
22ユダヤ人たちが、「『わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない』と言っているが、自殺でもするつもりなのだろうか」と話していると、
23イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。
24だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」
25彼らが、「あなたは、いったい、どなたですか」と言うと、イエスは言われた。「それは初めから話しているではないか。
26あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。」
27彼らは、イエスが御父について話しておられることを悟らなかった。
28そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。
29わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」
30これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた。

ヨハネによる福音書 8章21〜30節

【メモ】
◎「エゴー・エイミ」(「我あり」「我なり」)。
これが神ご自身による神の定義。

◎『ヨハネ』におけるイエスは、「エゴー・エイミ」の内容を掘り下げていく。
「我あり、世の光として/真のパンとして/道として/真理として/命として/復活として」
(「世の光/真のパン/道/真理/命/復活、それは我なり」)

イエスはいつでもどこでも、私たちに答えてくださる。
「我あり/我なり」

◎イエス(神)は何故そこまでしてくださるのか。
=神は私たちが、罪の内に留まって死ぬことを望んでおられないから。

◎問い「善人が苦しみの内に、悪人が平安の内に死ぬことがある。
“良き生”と“良き死”は無関係ではないか」

「どんな形で死ぬか」は全く問題ではない。
「あなたはどこへ向かっているのか、何者として生きて死ぬつもりか」
その事について、神は私たちに選択を迫る。

◎ファリサイ派「この男は自殺でもするのか(地獄に行くつもりか)」

彼らには「自分自身がどこへ向かうのか、何者として死ぬのか」を問う意識が欠片もなかった。
だから神の御心を理解する事なく、「あなた方は自分の罪のうちに死ぬことになる」。

◎ファリサイ派「自分の罪の内に死ぬ?お前は何様なんだ!」

イエス「お前らに聞く気が無いだけで、始めから言ってるじゃないか!
少なくとも俺が今言った事は、神様が『創世記』からずっと言ってきた事だろ!」

◎人間には、神の裁きに耐えるほどの善はなく、神の赦しを妨げるほどの罪もない。
そして神の裁きと赦しは、どちらも「罪の内に死ぬな、立ち帰って生きよ」という神の御心の行使である。
「神の御心に従うか否か」このこと一つが「命か死か」の分かれ道。

◎私たちは神について今更問う必要はない。
「神とは何者か、神の御心とは何か」それは既に明白である。
問うべきは「私は何者として生きるのか。命と死、どちらに向かって歩むのか」。



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