永遠であるということ
天の御国には神の前に居場所がある。
その場所に、子どもたちを来させなさい。
マタイの福音書19章における御言葉。
イエス・キリストは、私達の永久の保護者である。
永遠の御父。
決していなくなることのない父親。
一人にして消えたりしない。気分のムラで態度を変えることのない、安心できる保護者。
この方が示している神というのは、信じるものの中に住まわれる。
ともにおられる、お方。
親が死んでしまったらどうしよう、と考えることがある。
イエスを信じるなら、その怖さから抜け出すことが出来る。
孤独、寂しさを経験しながら生きる。神は私とともにいてくださる。
私達が思いついて、生きているような時間軸。そのずっと、というものをこの方には期待することができる。
イエス・キリストは、そばにいてくださるとき、私達はありのままで一緒にいることが出来る。
大人になったら忘れてしまうが、思春期の子供は汚い大人になりたくない、と考える。
聖書の神は、私達の罪の刑罰を全部一人で引き受けて、持っていってくださった方。
私達の聖書が言うところの罪、を終わらせてくださった方。
私の中に罰というものは残っていない。そう信じて全く構わない。
どんなに醜い自分を新たに見つけたとしても、変え続けてくださる方。
もし私達がどんなにひどいことをしたとしても、完全に赦してくださる。やってしまったことの落とし前を一緒にしてくれる上司だとしたら、勇気がでる。
誤魔化し続ける必要のない方。
ありのままでいられるということは、謝る勇気をいつでも持てるということ。
私達はいつも、客観的に見れば、情けない自分に気づくかもしれないが、改めてその自分をキリストの前に持っていき、やり直させてもらえる。
ありのまま、安心して。
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