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言葉にできない

「苦手な人」というのは、誰にでも一人や二人はいますよね。自分の中で「苦手な人」を分類すると、大まかに2種類に分けられます。
 
 一つは、生理的に合わない気がする人。何が苦手と言えないけど、何となく苦手な人がここに入ります。

 二つ目は、言葉で表現しやすい「苦手さ」。この人のこういうところが苦手と、しっかり言語化できる場合です。
 
 二つ目の場合は、言葉で最初は表せなくても、だんだん気づいてきたり、考えたりして、この部分が苦手なのだよなと言語化していける場合もあります。言語化したときに、違和感が無ければ、多分もう、それはそれでOKなのだと思います。何かしらの対策を立てながら、その苦手な人に対応していけることが多い。
 
 一方で、言葉にできない苦手さというのは、厄介な印象です。言葉にして検討して対策しても、まだ残る苦手感。理性的には、これで大丈夫と理解できるのに、感覚的には、そうは言ってもムリとなるのですから。
 
 しかし、私たちにとって何も言えないけれど…「でも…」というのは、至る所にあるように思います。

 相談の中でも、理由は無いけど、学校に、職場に「行けない」。何となく「行きづらい」とか。

なんで? どうして? と聞かれれば、何とかして○○なところがダメ。××なところが気になる。と、言葉にすることもあります。

 でも、言葉にすればするほど、自分が感じている「行きたくない」という理由は、言葉と言葉の間から滑り落ちてしまう。そして、最後には、「分からない」という言語化しか出来なくなることもあります。

 これは、ある意味仕方のないことでもあります。なぜなら、言葉にするということは、一つの部分に焦点を当て、明確化すると同時に、その周辺に漂う切れ端や雰囲気を切り落とす作業でもあるからです。そう、曖昧なものを切り落とさないと、輪郭ははっきりしないのです。
 
 カウンセリングを行う私たちにとって、モヤモヤを言語化していくことが、一つの大きな心理療法の中の技術ではあります。
 しかし、同時に、取りこぼされた、言葉にならない言葉たちを、そこにあるモヤモヤに思いを馳せ、そっと受け止めることも忘れたくはありません。
 
 と、話しが長くなりました。
 
つまるところ、感覚的に「苦手な人」をサーチする力というのは、大事な特殊能力であって、もしその人のことを、カウンセリングで話し合っても話し合っても、なかなか納得する言葉も、対策も見つけられないままいるのであるとすれば、その自分の身体感覚や、何となくという勘を大事にするということも、時として必要なのだと思います。
 
 割り切れなくて良いですよね。どうしても、私たちの周りは社会だったり、常識だったり、人の目だったり、大人としてのふるまいだったりと、社会・文化的・倫理的な制約や縛りが多いから、正すことにばかり目が向きがちですが、逃げた方が良いという勘を大事にするときも絶対あるのではないでしょうか。

 いつもベストな選択が出来るとは限りません。どちらがよりマシな選択なのか選ばざるを得ない時もあるでしょう。そんな時に、「苦手な人」センサーが、役に立つかもしれません。
                (K.N)

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