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ある朝のこと

 朝起きると、台所のシンクに汚れた食器が置いてある。夕食後の洗い物が終わった後に、家人が使ったものだ。ちょっとムッとする自分が、朝の静かな台所にいる。
 
 それが、今朝は違った。使った食器が、洗われて洗いカゴに入っている。
 
 これは、当たり前、ではないな。
 
 家人は、汚れた食器がシンクに溜まっていても平気な人だ。ひとりで暮らしていたら、洗い物も洗濯物も、限界まで溜めてから、諦めて洗うタイプだ。
 
 だから、自分が使った茶碗と皿がシンクの端にあるくらい、全然気にならないはずなのに、置いておいたら私が洗うことを想像して、洗ってくれたんだな、と思った。
 
 私に合わせてくれた、ってことなのだと思う。もしくは、思いやってくれた。
 
 相手の思いやりを感じて嬉しくなる。表情も柔らかくなる。口元に笑み。ふふふ。
 
 家族だって他人。他人同士が一緒に暮らすんだから、ちょっとずつ譲り合ったり、相手に合わせたりしないとうまくいかない。だから、お互いさまのはず。
 
 それは分かっているんだけど、ついつい、自分が合わせてあげたことにばかり目がいってしまう。相手が合わせてくれたことには気づきにくい。自分の言っていることが正しいと思い、だからやって当たり前、と思ってしまう。
 
 ここまで思考がぐるぐるっと回って、起きてきた家人に

「お皿、洗ってくれたんだね。ありがとう」

と口に出して言ってみた。
 
 お礼を言われて相手がちょっと驚いていた、ということは、私は普段から感謝が足りないのかな??
 
 ともあれ、相手がしてくれたことに気づける自分でいる方が、幸せだと気づいた、ある朝のこと。

                    (文責:M.C)

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