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拝啓、みこと心理臨床処 様

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2023年から始まったみことスタッフ3名によるリレー方式の往復書簡コラムです。 みこと心理臨床処の雰囲気を、皆様に、感じてもらえたらと思います。
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#文責KN

優しさのお届けもの

土砂降りの雨を前に、傘を忘れてどうしようかと思案している時に、後ろから来て傘を貸してくれるわけではなく、 「私たちも忘れちゃった! どうするかねぇ?」 と、笑いながら空を見上げるそんなイメージが、お二人のお手紙コラムを読んでいて浮かんできました。 そこから、一緒に雨宿りをするもよし、どこかのカフェでお茶をするもよし。もしくは、土砂降りの中で一緒に濡れながら帰るのもありかもしれません。途中の帰り道で、別々になってしまったとしても、きっと一人になった時、その時の様子を

雨に歌えば

たまに、思うことはありませんか? なんで、この人は良いのに、自分は駄目なんだろうって。 同じことをしているはずなのに。同じぐらいの努力だったり、同じぐらいのミスだったり、同じぐらいのずるだったり、同じぐらいのわがままだったり。 そんなに違いはないはずなのに。 自分はなぜか、うまくいかなくて、許されなくて、損ばかりしてるような気持ちになることが。 人はうまくやってるのに、自分はそれが出来ていないような…。 でも、それってきっと方向性の違いなのではないかと思うのです。

言葉にできない

「苦手な人」というのは、誰にでも一人や二人はいますよね。自分の中で「苦手な人」を分類すると、大まかに2種類に分けられます。    一つは、生理的に合わない気がする人。何が苦手と言えないけど、何となく苦手な人がここに入ります。  二つ目は、言葉で表現しやすい「苦手さ」。この人のこういうところが苦手と、しっかり言語化できる場合です。  二つ目の場合は、言葉で最初は表せなくても、だんだん気づいてきたり、考えたりして、この部分が苦手なのだよなと言語化していける場合もあります。言

心地よいリズムで

 前のお二人のコラムを読みながら、自分に照らしかえしてみると、何事にもリズムって大切だよなと思ったりします。  忙しくなると3人のやり取りするLINEが静かになるという話しですが、静かになっても別に構わないという信頼感があるからこそ、出来ることだなぁという前提はさておき。  なんと言っても本当に忙しくなると、LINEのやり取りは話が盛り上がって時間を取られてしまうので、そのわずかな時間でも睡眠時間や、家事や他の時間に当てないとやってられないという実情があります。なので、そ

あぁ、夏休み

 夏休みと言えば、すぐに思い浮かぶのは、私が小学校のSC(スクールカウンセラー)を始めたころの話しです。  学校の先生方は忙しく、夏休みは唯一と言ってもいいぐらいの、連続した休みがとれる時期。多くの先生方が、帰省やら旅行やらに出かけていることを知りました。  そして、同時に、夏休み前のあのワクワクとした期待感に満ちた学期の終わりには、「夏休みはどこに行くの?」なんて会話が学校中に飛び交っているのを見聞きしました。  当時から、出不精でもある私は、夏休みだから遠出をする

混沌の中に

 「誠実」と「真実」この二つが、好きな言葉だと、私が中学生の頃に教わった先生が 言っていたのを思い出す。  私は、当時からこれらの言葉が、苦手だった。清廉潔白な、「誠実さ」よりも、混沌とした泥臭さの中にも何か大事なものがあるような気がしていたし、「真実」などというものを元々信じていなかった。    あなたの「ほんとう」は、私の「ほんとう」とはきっと、同じとは限らないのだから。  ということで、実は昔から「正しさ」にも「ほんとうのこと」にもあまり、興味が無かった。ただ、

心の旅

 旅って良いものですよね。いつもと違う時間、いつもと違う場所、いつもと違う風景。その一つ一つが新鮮で。    旅先で見つけた景色に、心が奪われる経験をしたことはあるでしょうか?  例えば、一面のすすき野原の上に浮かんだ三日月の美しさや、夕陽が富士山のふもとに沈んでいく姿や夕闇と合わさって溶けていくような空の儚さや、高台から見渡した小さな町と海の光などのまぶしさ、などなど。  このような景色の中にたたずんでいると、自分自身もその世界に包まれているような、ずっと見ていたい

あれもこれも、失敗じゃない

 チャットGPTやお手紙のことを書いた後に、私は、「合理性」ってことについて考え始めている。 「効率化」について考えていると言ってもいい。  そして、そんなことを考えているうちに、「解釈違い」という話題が出てきて、ふと、こんなことを連想してしまった。  何でも、自分で試してみたいって思うことは、人生の中のどこかしらの年齢で、誰にでもあることと思う。自分で一生懸命考えて、精いっぱいやってみてそれでもなかなかうまくいかなくて、もがいて苦しくなる。そんな時に、「こうすれ

愛をこめてお手紙を

 チャットGPTの話が盛り上がっているところに、いきなりアナログな話題を出すが、最近はお手紙を書いたりもらったりという機会がずいぶんと減ったように思う。  私は、便箋が好きなので気に入った便箋と封筒を見つけては買ってしまって、日本の四季に合わせた柄から、動物柄などなど、色々なものが家にずいぶんたまっている。それでも、たまに、お手紙をもらうことがあるので、その時々でハガキを使ったり、便箋を使ったりしながら手紙を書く。  メールでのやり取りやLINEでのやり取りも手軽で素早く

意外性の模索

 最近、ニュースでもSNSでも何かと話題のチャットGPT。AIによる人工知能が色々答えてくれるシステムなわけだけれども、こういうのが意外と私は好きである。それこそ、昔流行ったおしゃべりロボット「ファービー」なども結構、楽しんだのを思い出す。このロボット、今だとリズモに近いのかしらと思ったりしつつ。  そういうわけで、チャットGPTも出来れば、使ってみてから感想を書きたいところなのだけれども、残念ながらユーザー登録しないといけないのが手間というか少し嫌なので使っていない。何と

エネルギーの循環

「攻撃性」と言ってしまうとなんか、良い悪いの価値基準が付きまといそうだけれども、基本的には、対象に対し膨大なエネルギーを向けることの一つの形だと思っている。そう思うと、「愛」や「恋」や「やさしや」や「憎しみ」などの感情も相手に向けるエネルギーだろう。これらの違いは、なんだろうか? 鋭さだろうか。 と、考え始めると違う方向に行ってしまうので、「攻撃性」という他者に向かう膨大なエネルギーの話に戻ろう。 膨大なエネルギーのその対象が、他人になるのか自分になるのか、ということで他

失われた遊び

 連載早々から、かなり難解な質問が来た。 「遊びとは何か?」  しかも、自分にとっての。  これを読んでいる皆さんも、ちょっとこのコラムを読む手を止めて、考えてみてください。  「自分にとって、遊びとは何か?」 と。好きなことを聞かれたり、趣味は何かと聞かれたら、比較的答えやすいかもしれない。しかし、遊びと、言われるとねぇ…。時間潰しはしているし、ホッと一息もついている。気分転換はしている。友達と遊びにいくことはある。でも、具体的な遊び…?  少し話は

場を作る

 私たちのカウンセリングルームでどのように過ごしているのかというお二人の話しを聞いていると、結局のところはクライエントさんたちを、誠心誠意迎え入れるためにどう準備をしているかという話なのだなぁと思う。それは、居心地が良い場を自分たちの手で作っている作業なのだ。  安心安全な場を作ることがまず、カウンセラーの最初の一歩だ。  二人ともそういう所作が自然と身についているようだ。なぜなら、さりげなく4通目で方向転換を図り、自由度を上げた書簡コラムも、そこそこ同じような感じに落ち着

さてさて、

 さてさて、お手紙コラムが一巡した。  往復書簡ならぬリレー書簡というアイデアを皆で出した後、私が最初に形にして、手紙風にしたためてみた。そうしたら、後の二人が案外真面目に、その書式に則って続きを書いてくれたことに、感心してしまった。さらに、質問で広げた話題は全部回収してくるスタイル、お二人ともそつが無い。 このお手紙風やり取りが、きっと定型になると読者の皆様も思っておられるかもしれないが、実は、最初の書簡たちはプロローグでしかない。  さあ、ここからが、ゲームの始ま