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混沌の中に

 「誠実」と「真実」この二つが、好きな言葉だと、私が中学生の頃に教わった先生が
言っていたのを思い出す。
 
 私は、当時からこれらの言葉が、苦手だった。清廉潔白な、「誠実さ」よりも、混沌とした泥臭さの中にも何か大事なものがあるような気がしていたし、「真実」などというものを元々信じていなかった。
 
 あなたの「ほんとう」は、私の「ほんとう」とはきっと、同じとは限らないのだから。
 
 ということで、実は昔から「正しさ」にも「ほんとうのこと」にもあまり、興味が無かった。ただ、「正統派」には、憧れていた。自分には手に入らないし、それだけを手に入れたいとも思わないけれども、横道に逸れず正統派を貫く姿は、美しいので。
 
 そんなこんなで、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、アニメで見た記憶はあるけれども、それ以上でもそれ以下でもなく、どちらかというと宮沢賢治は、詩の方が好きである。
 
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
 
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る
 
 
という感じに。と思ってから、気が付く。
そう言えば、ぢっと手を見るのは石川啄木だった…。宮沢賢治の詩を全部覚えてなかったので、石川啄木の短歌と混じってしまった。良く分からないことを言い出してしまって、混乱した方がいたら申しわけない。
 
 しかも、よくよく背景をみると、石川啄木は、丈夫な体をもっていなかったらしいし、品行方正というわけでもなかったようだ。相反するものを組み合わせてしまった。

 と、話題が脱線というか、どんどん混沌と化してしまいそうなので、この辺で宮沢賢治の話題は切り上げよう。
 

 一つのものの中には、色々なものが色々と混じっていて、純粋なる一つのものというのは、少ないのではないかと思う。少ないゆえに純粋なものは貴重なものとしてみられがちであるが、色々なものが混じって、その時々で違う姿を見せるものも、良いのではないかと思う。
 
 そこに、自分だけの物語。自分だけの大事なもの。ぱっと見なんの変哲もない同じようなものの中にも、自分にとっての違いがあれば、面白いように思う。
 
 きっと、自分だけではよく分からない、はっきりしないで混沌と色々なものがまじりあっている気持ちや考えも、一つずつを掬い上げて、名前をつけたり愛おしんだり、要らなかったと捨ててみる。その作業は、大変だけれども意味のある作業ではないかと思う。それを、二人で話し合いながら行うのが、カウンセリングの一つである。そうすると、混沌が混沌じゃなくなるのかもしれないし、混沌だと思ってなかったものが混沌であると理解されるかもしれない。
 
 混沌の中に、何か貴重なものを見つける必要は、必ずしもない。自分にとって、何となく意味があるような、少し整理されるような、そんな経験の中で、少しだけ何かが変わることもあるだろう。少しすっきりしたり、混ざったものを混ざったものとして少し楽しめるようになったりすることもあるだろう。
 
 そんな風にささやかな変化を見つけられるカウンセリングも、みこと心理臨床処では、提供していきたいと思っている。
 
                   (K.N)

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