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蒼色の月 #118 「現住所①」

今年もまた、年越しの時期がやってくる。
昨年の年の瀬、夫を我が家に呼んで、久しぶりの家族5人での年越しをしようと試みた。
久しぶりの家族の時間。しかし楽しかったのも束の間美加からの着信で夫の顔が変わった。

「帰らなきゃ」

夫はそう言って、止める健斗を振り払い帰ってしまった。

早いのか遅いのか、あれから一年、また年越しの季節。
しかし、昨年と違うのは、今年は二人の受験生を抱え、そのことで精一杯で皆の気が紛れていることだった。

そんな我が家にちょっとした問題が起きた。
それは今思えば、たわいもないことなのかもしれない。
しかしなぜだろう。
その当時、長男の言葉を真に受けて私も本気で悩んでしまった。
やはり当時私は、冷静に物事の判断がつかない精神状態だったのだろう。

ある日の夜だった。

「お母さん、願書のことなんだけど」

「なに?どうしたの?」

夕食の後、食器を洗う私の背に悠真がそう言った。

「今日クラスでさ、大学に出す願書、書ける人は早く書いておけって言われたんだけど」

「うん、そうだね。受けるところ決まってるんならそれでもいいよね」

私は、皿を洗う手を止めずそう答えた。

「だからね、ちょっと聞きたいことがあるんだよね」

「うん、なにかな」

私がそう言って振り向くと、悠真がちょっと困った顔で願書を手にそこに立っていた。

「ちょっとここ見てよ」

悠真が指さす先には、保護者を記入する蘭が。

「そこがどうしたの?」

「僕の保護者って、お父さんでいいのかな?いいんだよね?」

私は予想もしていなかった質問に面食らった。
夫は、義母の体調不良のため、義父母の家に泊っている。夫が家を出た当初、私が子供達にしたその苦しい言い訳を私はいまだ押し通している。
そんな言い訳を、子供達がいつまでも信じているわけがないのに。そんなことは、私もわかっているが、もう父の長期の不在をどんな言葉で言い訳すれば良いのか、私にはわからないのだ。
だから子供達には、父が母との離婚を望んでいて戦っていることは、一切話していない。

「うん。もちろん。そこはお父さんの名前でいいんだよ。お父さんの名前を書いておいて」

「…だよね」と悠真。

「それでいいと思うよ」

「保護者現住所ってあるじゃない?そこはお父さんの住所ってことになるけど、なんて書けばいいの?」

そういうことか。
悠真は、父親がもう1年以上家に帰ってきていないから、父の現住所をどこと書けばいいのか迷っていたのだ。悠真が申し訳なさそうな顔をして、私を見ている。この子のことだから、私にこんな質問をすることを申し訳なく思って、しばらく躊躇していたんだろうな。

申し訳ない。
悠真に申し訳ない。
そんな気を使わせて申し訳ない。
ダメな両親のために犠牲になるのはいつも子供だ。

センター試験まで一か月を切っている。
普通ならばそんなくだらないことに、頭を使う時期ではないのに。

「お父さんさ、もう一年以上もここに帰って来てないじゃない。実際はじいちゃんのところに住んでいるんだから、じいちゃんのとこの住所を書くのが正しいんじゃないのかな…」と悠真。

生真面目な悠真らしい。

「なるほど、そんなこと考えてたんだね」

「大事な受験の願書だから、正確に書いて出さないとと思って」と悠真。

そんなこと、いちいち大学側が調べたりするはずはない。
今ならそう思う。だけどその時の私は、なるほど嘘は書けないのではないかそんな風に思ったのだ。

「そっか。大事な受験先に提出するんだもんね。ちょっと心配になるよね。お母さん調べてみるから心配しないで!」

「悪いね。お願い」

悪いね…
悠真はなにも悪くない。
なに一つ悪くない。
悪いのは父と母だ。
ダメな父と母だ。

大学受験の追い込みなんて、塾に学校に忙しく、受験生はただただ受験のことにだけ集中していれば良い。
あとは家族が腫れ物に触るように、風邪をひかないように、栄養をつけるように、追い込みの邪魔をしないように気遣いをするのが普通なんだと思う。

なのに悠真は。こんな両親を持ったばっかりに。


mikotoです。つたない記事を読んでいただきありがとうございます。これからも一生懸命書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!