夫婦ふたりご飯!番外〜お祝いが続く3月〜回想編2

高校生になるとアルバイトができる年齢ではあるが、ウチは冬休みの年賀状の仕分けなどする郵便局か、夏休みにある市のプールならという厳しい面があった。

そのちょっとしたアルバイトの稼ぎながら、母親の誕生日にケーキを買いご飯の材料を買いお夕飯を家族分、用意したこともあった。

これ以来、母親がいない日があっても大丈夫だと安心させたのか、父親と二人で旅行に出かけることが多くなったり、残念だが実家に帰らざる日々が続いた頃も私が妹と父親の食事を、用意することもしばしあった。

実家に住んでいたのは21、22歳までだったと思う。専門学生になったら、特に制限もなくなり学校の帰りに途中下車してアルバイトに行き、夜8時前後に帰宅が当たり前になっていた。

妹が確か、18歳になった時だった気がする。シャネルの香水をプレゼントしたのは。限定の3種に調合された理科の実験に使われるような、瓶に入っていた。

それから、実家を出てからの誕生日の祝われ方が何故かあまり覚えていない。

親じゃない誰かといえば、そういう人がいたということが察してもらえるだろうか。忘れた訳じゃないけど其処は綴るほどでもなく、何かをねだるということは一切なかったけど、プレゼントは貰ったとだけ記すことにする。

続く

#エッセイ #誕生日 #3月 #回想

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