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ChatGPTに小説は書けるのかプロに聞いてみたシリーズのご紹介

 半年前にChatGPTを使って小説を書けるのか、かなり真剣に検討したことがありまして、その経過はこちらのマガジンになっています。
 有料記事ですが、このnote全体の有料記事すべてが読めるサブスクにご加入の方は月額100円で全記事読めるようになっています。

 このシリーズの特徴は、素人のみこちゃんがChatGPTで小説書けるぞ!すげー!〜٩(ˊᗜˋ*)وと浮かれているシリーズではありません。

 あの半年前当時はまだChatGPTは夢のツールで、人間の創造的活動はやがてなんでもできてしまう、的な夢と不安がいりまじった時期でした。

 でもまてよ……。ほんとに芸術という領域でも生成AIは人間に取って代わるんだろうか。素人的にはそんな気もするけど、プロはどう考えているのだろう。じゃあ、みこちゃんの小説の師匠であるメフィスト賞作家の赤星香一郎先生にそれ聞いてみよう、一緒にシリーズ作ってもらおうと考えてもちかけた企画がこれでした。

【前提】日本で小説家におけるプロとはどんな人なのか(ニセ先生とは誰なのか)

 最初にこの企画のアドバイザーをお願いした小説家の先生と呼ばれる人について解説が必要かもしれません。

 noteでは小説家を名乗っていながらその実自費出版で、なんの賞も取らずに「商業出版しました」と名乗っている自称小説家がいっぱいいるのですが、そういう人がAI小説についてどう考えているかの意見を聞いても無意味です。そもそも著名な賞を取る実力がないのだけど小説家と名乗りたいがために300万程度のお金で「先生」という名前を購入している人たちですから。


 ココナラで「noteのスキ付けます」っていうサービスがありますが、noteの自費出版自称小説家の先生はこれとまったく同じです。ココナラでスキを買うよりもお金はかかりますが、まったく同じくお金で「先生」を買っているわけですね。
 スキをいっぱいお金で買っててんこ盛りにすると、記事に説得力があるように見せかけることができます。同じように、お金で買ったとしても出版している「小説家の先生」とプロフに書けると何かとやりやすいということなのでしょう。

 そういう人に、AIによって小説が可能かどうかを判断できるわけもない。素人以下の判断力しかない、素人以下の小説の技量しかないので、スキを集められない人がスキをココナラで買うように、小説家の肩書を買った人たちです。日本の商業出版の小説では芸能人の慰み的な小説を除けば、すべての商業出版は新人賞を受賞することが大前提というシステムが確立されていますので、プロフに受賞歴を書いていない人はこの手のひとだとみなして間違いないでしょう。

 もちろん趣味や自分の生きた、生きてきた人生の集大成として本を出版する、ということは素晴らしいことだと思います。ただ、自費出版であることを隠して、先生という肩書を利用してあたかもプロの作家であるように振る舞う態度というのはいかがなものでしょうか。
 そうした先生の中には、自分のことを「先生」と呼ばないということで腹を立ててブチ切れる人もnoteにはいらっしゃいます。実際私がそういう被害に目撃者多数の衆知の中でさらされたこともありました。偽作家だということは本人以外かなりの人が知っているということをその場の全員も知っていたのですが、うっかり私が先生と呼ばなかったのでみんなの前で切れちゃったようですね……。

 さて、前置きが長くなりましたが、このシリーズでは講談社メフィスト賞作家の赤星香一郎先生にChatGPTに小説が書けるかどうかガチンコで検証していただきました。

 結果としては、いわゆる「いい話」は書けるけど「良い小説」は書けないというものになりました。

 偏見なく公平に可能性を探っていただきましたが、結果としてはそのようになりました。赤星香一郎先生は作家の既得権益を守ろうとするというような下卑た考えとはまったく無縁の方で、私のレーベルで出していただいている『アルゴリズムの鬼手』(みこちゃん出版)で追求されたように(AI将棋をテーマにした我が国のAI小説最初期の先駆的小説です)、AIが人間を凌駕する可能性に心の底で常に期待感すら強固に持っておられる方です。

 もし、AIが人間を凌駕することがあればそんなにすばらしいことはない。その時こそ、人間にとって本当の創造活動がみえてくるはずだ。そんなピュアな思いでこの企画を先生と作りあげました。

 その格闘の過程をぜひご覧いただければ幸いでございます。

「良い小説」と「いい話」を峻別することの必要性について

 また、このシリーズの中でキーワードとなっている「いい話」と「良い小説」を峻別しようという考え方で無料のマガジンもやっております。ダルマさんという碩学の仏教研究者の方を編集長にお迎えし、このシリーズの赤星香一郎先生にも加わっていただいています。

 ここでいう「いい話」というのは「良い小説」にたいして価値のないものだ、というわけでは決してありません。みこちゃん「いい話」が大好きで、自身別noteではいい話ばかり書いています。

 ただ、いい話=良い小説と考えてしまうと、小説の本質を見失ってしまい、それはやがてChatGPTに全部とって替わられてしまうのではないか、という危惧を私は抱いています。

 ChatGPTではなく人間にしか作り出せない創造活動とはなんだろう……。私たちは小説を趣味、あるいは職業とするひとたちだけではなく、誰もがそんなことを考える、いえ、考えざるを得ない時代に突入して生きています。

 また、「いい話」の素晴らしさとは、小賢しい創作などではけっして紡ぎ出せない人生の真実がこぼれ落ちる瞬間を拾い上げた稀有なエッセイとなって、これもまた人間にしか作り出せない世界を構築します。
 ところが、心を打ついい話が、簡単に安易な気持ちでChatGPTで創作できてしまうとすると、この人間らしい「いい話」の真実が全部うそくさいどっかで聞いたような作り物になってしまいます。

 これは、「良い小説」にとっても「いい話」にとっても不幸なことですよね。だから、私たちは「良い小説」と「いい話」を峻別することの大切さをコンセプトにマガジンを運営しています。

 ChatGPTによって、もっともらしい「いい話」が量産可能になってしまった今、本当の「いい話」とはなんだろう、と見つめ直したり再発見したりするために、嘘くさい作り話のいい話=悪い小説と本当の「いい話」を区別、峻別すること、そして本当のいい話を大切にする態度の確立が喫緊の課題となっていると思います。

 ぜひ、小説に興味のある方だけでなく、人間の創造活動とは何か、ChatGPTではできない、人間らしい営みとは何なのかに興味のある方が私たちの共同マガジンに興味を持っていただけたら幸いです。
 このようなコンセプトですので、ピックアップさせていただく珠玉の作品も小説に限らない記事を収録させていただいております。

 ぜひ、お手にとって見ていただければ幸いです。

(^-^)

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