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なぜ私たちは「ライトなファン」を名乗りたがるのか

先日友人がM高史さんのラジオに出演し、11年も東洋大学陸上競技部長距離ブロックを応援し続けているにもかかわらず自身を「鉄紺の沼ではなく鉄紺の沼のほとりにいる」と主張する姿勢が物議を醸しました。

私がライトなファンを名乗る理由

実は私も彼女と同じスタンスです。早稲田大学競走部長距離ブロックを応援しはじめて6年、謎の競走部ベタ褒めおうち観戦記を生み出すようになった今もなお自らをライトなファンと称しています。友人も私も周囲からは常々「あなたがライトなファンなわけがないでしょう!」と一蹴されているものの、自己認識を改める予定はありません。というわけでこの機会に、私がライトなファンを名乗りたがる理由について、整理してみることにしました。

私がライトなファンを名乗る理由は大きく2点です。
①コアなファンでありたいと思っていないから
②ライトなファンでも楽しめる陸上競技が好きだから

以下、それぞれについて詳しく述べていきます。


①コアなファンでありたいと思っていないから

コアなファン、というのが一体何を指すのかそもそもよくわかっていませんが、ここでは便宜上「特定のチームや選手に詳しく、長期間そのチームや選手を見守っている人」を表すものとします。この場合、私は特にコアな早稲田ファンには該当しないと考えています。というのも、学年全員を見守るようになったのは現1年生からですし、部員日記を定期的に読むようになったのは2020年秋頃だったからです。それでも、もっと早くからハマっておけばよかった、というような後悔の念を抱くことはありません。善良かつ親切な早稲田コアファンの方々が偉大なるOBについてのお話を教えてくださることがあるので、そういったシーンでありがたく吸収するのみです。また、性格上実際にお会いしたファン同士の昔の早稲田に関する会話についていけなくても特に焦りを感じることはありません。

したがって「コアなファン」という主旨の語を単独で褒め言葉にしようする感覚は正直なところ理解しかねます。コアなファンでありたい人はそうすれば良いし、ライトなファンでありたい人もそうすれば良いでしょう。コアなファンとライトなファンの間に優劣があるかというとそうではないですから。よって私が「コアなファン」と言われて否定する際、そこに謙遜の気持ちはありません。ただ訂正しているだけです。

そもそも謙遜という行為自体があまり好きではないので、もし私が「そんなことないです〜(照)」という姿勢でライトなファンを名乗っていると思っていた方がいらっしゃったのならぜひ認識を改めていただきたいです。謙遜を美徳とする文化を無碍にする意図はさらさらありませんが、私からすれば謙遜とは自分を褒めてくれた人の言うことを全力で否定し卑下する理解不能行為でしかないので。褒められて嬉しかったら嬉しいと言いますし、まだまだだと思っているにしても「私にはもったいない御言葉ですが大変嬉しいです」のようにまとめます。間違っても「そんなことないです」のトーンには持っていかないのが私のポリシーです。


②ライトなファンでも楽しめる陸上競技が好きだから

よく「陸上競技は詳しくなればなるほど楽しめる」なんて言説を目にします。これは事実だと思います。しかしながら同時に「別に詳しくなくても楽しめるし、それこそが陸上競技の魅力ではないのか」とも思います。これは私自身の経験からくる考えです。

私の実家ではお正月に箱根駅伝を観る文化はなく、近年の箱根ランナーで最も有名であろう柏原竜二さんの名前すら知りませんでした。“なんとなくおうちで箱根駅伝を観てはいたけどハマったのは◯◯さんの走りがキッカケで〜”というエピソードは他のファンの方からよく聞きますが、私の場合は全く異なります。たまたま早稲田大学へ入学し、たまたま同じ学科に箱根駅伝を現地観戦してみたいという子がいたからという軽いノリで観戦計画を立てたのが全ての始まりです。スタンバイ時間だけわかれば良いや!のテンションだったため適当に箱根駅伝ファンのブログらしきものだけ調べ、箱根本の存在なんて知る由もなく、何なら箱根関連番組にも特に興味が湧かずチェックしませんでした。当日も選手の名前を1人も知らないまま「早稲田大学」と書かれたあのダサい襷風マフラータオルだけはなぜかゲットして現地へ赴きました。

そんな軽いノリと勢いだけで観戦したのが、それはもう楽しくて楽しくて。小柄な学生たちが一瞬だけ目の前を通っていくという至って刹那的なイベントなのに、心の充実感は計り知れないものだったのです。ただ走るだけというシンプルな動きを極めるランナーによって本能を刺激されたのか、はたまた沿道に大勢の人が詰め掛ける箱根駅伝の特殊性にやられたのか、自分でもよくわかりません。とにかく、この時の気持ちを私は大切にしたいと思っています。

駅伝の当日変更のルールもチームの方針も目標順位もな〜〜〜んにも知らなくても、ただ走っている姿を見て声援を送るだけで楽しめる。これはとても素敵なことではないでしょうか。今でも現地観戦時ろくに出場選手のことを調べずに突撃するのは、もしかしたらこの「よくわからないけど、なんか楽しかったし心がいっぱいになった」という感覚を追い求めてのことなのかもしれません。


あとがき

ライトなファンを名乗る理由について自由に綴りましたが、別にコアなファンだと言われることを不快に思っているわけではありません。むしろ「丁寧に競走部のことを見ている人がいて、同じファンとして嬉しいです」「こんなに夢中になれるものがあるなんて、人生が楽しそうだね」等の言葉をかけていただいくと、その度にとても嬉しく感じます。私は競走部を応援していて人生が楽しいですし、たくさんの善良かつ親切な早稲田ファンの方々・長距離ファンの方々と交流することもまた、楽しさを増幅させる要因の一つとなっています。

ただ、私は今後もずっとライトなファンを自称し続けますしそこは譲りませんよ、というお話でした。



最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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