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本当にありのままでいいのは今の自分だけ!?アナ雪の和訳が生んだ誤解を考えてみた。

皆さん、こんにちは。
みっくり代表のつづかです。

みっくりの運営は、私以外にもう一人、
通称らんらんというモンテッソーリ教育の先生やってるちゃんとしてる人がいるんですけども。

その2人で、毎月1日にインスタライブしてるんですよ30分くらい。
で、今日のライブで話題にした「ありのまま」と「自立」のあたりの話を、もう少しnoteで深掘りして残しておこうかなと思います。

あ、みっくりのインスタもよかったらぜひフォローして、インスタライブのアーカイブも聞いてみてくださいね♪
https://www.instagram.com/mixlinkage51/


エルサは、未来永劫ありのままでいいわけではない!

あの、私、常々思っていることがありましてね。

某映画の超人気プリンセス、
エルサさんという方がいらっしゃるじゃないですか。

あの方が、ずっと自分の能力を隠して生きてたけどひょんなことからバレちゃって、逃げた先の山の中で歌うこれまた超有名曲ございますよね。
レット・イット・ゴー。

あの曲の大ヒットから、「ありのまま」という言葉が非常に一般的に、
かつ共通認識を持って使われるようになったと感じています。

しかし、あのシーンで「ありのまま」という和訳がされたことで、
「ありのまま」の自分の捉え方が少し間違ったイメージで定着してしまったように思うのです。


レット・イット・ゴーは、「ありのままで」と邦題が付けられ、
「ありのままの自分でいいんだ!」という前向きな気持ちになれる曲として受け入れられてきましたよね。

でも、正直、あのシーンを観た私の感想として、
本当にそんな意味で歌ってるのか、、?という疑問がうっすらあったんです。

そこで、私は英語に全く強くないのですが、
そもそもレット・イット・ゴーって本来どんな意味が調べてみたんですよ。

その意味は、、
「諦める」「手を離す」
でした。

あれ?
なんか、和訳の「ありのまま」とちょっとイメージ違いません?

そうなんですよ、あれ、英語の歌詞をよく読んでみると、
もう縛られているのは嫌、私を解放して!隠していたこの能力も解き放つ!
っていう歌なんです。

要するにアレです、尾崎豊が翻訳したら
「この支配からの卒業」って歌詞になるやつです。

ちょっと冷静になって思い出して欲しいんですけど、
あのシーンって、エルサが自分の能力を制御しきれなくてみんなを驚かせてしまった結果、戴冠式から逃げ出してたどり着いた山の中ですよね。

一生懸命隠せって言われた能力を隠して、重責を担う戴冠式をしようと頑張ったけど失敗しちゃって、長年の我慢が爆発した場面なんですよ。

はっきり言って、
あれは我慢し続けてきた今までの人生から盛大に逃げ出してきたエルサの、全力の「もうほっといて!」ソングです。
優等生演じてたJKが、なんかのキッカケでなんもかんもどうでも良くなって、いきなり強気になったってパターンです。(伝われ)

突然、前向きに晴れ晴れと
「これでいいの〜自分信じて〜光浴びながら〜歩き出そう〜♪」
って歌ってるわけじゃないんですが、
和訳によってそこがちょっと違ったイメージで浸透したことで、
「ありのままである自分」が前向きなものとして定着したと思っています。


もちろん、今まで隠していた本当の自分を解放して、自分を好きになろう、という意味では、まさに「ありのままの自分を受け入れる」であり、
それ自体を否定するものではないです。
(エルサ推しの皆さん、お願いだから怒らないで、、ガクブル)

ですが、その一方で、
エルサが能力をきちんと制御できないが故に、雪が降り続き、
祖国は凍りついてしまって大変なことになってるんですよ、姉さん!!

そもそも、後継者であるエルサが国を放り出して逃げ出してしまって、
国はどうするんですか、姉さん!!

そうなんです、
レット・イット・ゴー歌ってる段階のエルサは、
まだ自分のことしか見えてないし、ハッキリ言って無責任なんですよね。

ここできちんと理解しておきたいのは、
エルサを"自分軸"として捉えてみた時に、
自分自身をありのまま受け入れて自分という存在を確立する、
つまり「自立」するという段階に至っていることは大切なこと
ですよね。

しかし、自分の能力を制御しきれていないという部分も含めて
「これからもずっとありのままの自分でいいの」としてしまうのは違う
と思いません?

そうです、大事なのは"時間軸"の概念を合わせて持つことです。

つまり、
未来永劫「今のありのままの自分でいい」ということではないのです。

なぜなら、現状維持は緩やかな衰退だからです。
時間は必ず進んでいくのに、自分は立ち止まっているというのは後退なんですよね、残酷なことに。

助け合いが依存にならないために必要なのは?

というわけで、
まずはありのままでいいんだけど、
今のありのままがずっといいってわけじゃないよね
っていう話でした。

エルサを、ドヤ顔で「少しも寒くないわ!」と言っている、
自分を全肯定して自信満々の強い女性!
、、みたいに思って憧れている人がいたらごめんなさいなんだけど、、

エルサの素晴らしさはそこじゃなくて、
ちゃんと勇気を出して国に戻ったし、
閉じこもっていてみないふりをしていた妹の気持ちをちゃんと受け入れて関係再構築を図ったし、
女王という立場も覚悟を持って受け入れたし、
自分の能力も暴走しないように制御できるようにしたこと、
だと思うわけです。

そこにこそ、本当の強さと、自立があると思うんですよね。


みっくりのnoteなので、みっくりの活動にちゃんと繋げておきますと。

お手伝いや助け合いというのは、うっかりすると依存にもなりうる、
非常に難しい人間関係だと捉えています。

誰かの役に立つということは非常に嬉しいことだし、
誰かに助けを求められるというのは非常に心強いです。

でも、それぞれがまず自立をした存在を目指していないと、
自分という存在をほったらかしにして人のことをおてつだいしたり、
どうせ自分はできないしと開き直って人のおてつだいをあてにしたり、
「人の役にたっている」ことへの依存、
「助けてもらう」ことへの依存、になりかねないと思うからです。

まず第一段階として、
今の自分の苦手も好きも「ありのまま」の自分を受け入れて自立する。

しかし、そのありのままはあくまで"自分軸"であって、
決して他人に受け入れてもらおうとしていいものはありません。

"時間軸"の中で前に進もうとする人の集まりの中で、補い合う。

みっくりは、そんなコミュニティを目指して活動しています。

まぁ、、今のメンバーさん、本当にスンバラシイ方たちばかりなので、
実現できちゃってるんですけどね。


みっくりの活動に少しでも興味を持っていただいた方は、
毎月1日〜5日で入会申請受付しておりますので、
公式LINEからお問い合わせくださいね♪

あ、できたばっかりのチラシ載せとこ。

ではまた♪









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