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History#0 わたしの制作の原点

弱冠7歳で自覚した「絵描き」というもの

わたしの制作の原点には、時間とともに失われるものの儚さとそれに対するある種の怖さというものがあったように思います。「おとうとの可愛らしさが失われるのがこわい。どうしよう。そうだ絵に描いておこう」と思ったのは弱冠7歳のときでした。6歳半下に生まれた弟は、それはそれは可愛くて、パンをちぎりながらもぐもぐと口へ運ぶさまは今でも思い出せます。この可愛らしい瞬間はこの時しかなく、歳をとるにつれて失われていくものだという恐怖にも似た切実な想いがありました。

 「どうしよう。どうしよう。」

絵で描いておけば残せるのではないだろうか。
カメラを持っていなかったわたしは、いちばん身近な、けれど100%じぶんの力でなんとかできる方法を思いつきます。ノートの罫線やキャラクターの模様など気にもなりません。ただただ “パンを食べる弟” を「残す」ために彼を一生懸命観察して鉛筆で描きました。当の弟はそんな姉の気持ちを知る由もありません。夢中で食べる弟、それを必死に追うわたし。もぐもぐする口元と鼻の形がむずかしくて、思い通りの線を描いてはくれないじぶんの右手の指を恨めしくも思いました。

27歳の弟と絵の中の彼


今を刻み、留めるものとして

“つくること” “描くこと” に関しては、父方の祖父がおしえてくれたように思います。可動式の小さな本棚を作るのを手伝ってくれたり、ノコギリの使い方を教わったのも祖父からでした。物心ついたときには姉弟3人それぞれにスケッチブックを与えられ、身のまわりにある自然や植物、旅行先の風景などを描きました。

小学校の卒業式にもらったカーネーションを花瓶に入れたとき、これが枯れていくのが切ないと感じたことも覚えています。あかるい昼下がりに涙が出ました。やっぱり、それも描くことにしたのです。美しいもの、大切なもののいちばんピークの瞬間を刻めるもの。“今” を刻み、留めるものとして、“描くこと” をわたしは最高に信頼していました。

前述の弟の絵を描いたノートの1ページを、のちのちフレーミングしてずっと壁に掛けてくれていたのも祖父です。黄ばんだノートは今でもフレームのなかに時間を留めています。


わにぶちみき生涯最初の絵は
「弟のパンを食べる図」でした。

この絵を描いている瞬間の
気持ち、は
よく覚えています。

こんなにかわいい赤ちゃんも
このしゅんかんだけで
あっというまに
どんどんじかんはすぎて
かわいい赤ちゃんじゃ
なくなるんだな
なんだかさみしいな
絵にしてのこしておかないと

パンをもぐもぐする弟を
真正面から見つめる
弱冠7歳のわにぶちみき
鼻や口の修正跡がいじらしい

それを祖父母宅へ持参した父にも感謝
それにわざわざフレームを用意して
壁にかけてくれた祖父の思いにも感激です

絵、とはそういうものかもしれない
と原点に還るたいせつな宝物

27年のときを経て、
赤ちゃんじゃなくなった
いい歳の弟は
それでもやっぱり弟です

わにぶちみき(2016)



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