History#0 わたしの制作の原点
弱冠7歳で自覚した「絵描き」というもの
わたしの制作の原点には、時間とともに失われるものの儚さとそれに対するある種の怖さというものがあったように思います。「おとうとの可愛らしさが失われるのがこわい。どうしよう。そうだ絵に描いておこう」と思ったのは弱冠7歳のときでした。6歳半下に生まれた弟は、それはそれは可愛くて、パンをちぎりながらもぐもぐと口へ運ぶさまは今でも思い出せます。この可愛らしい瞬間はこの時しかなく、歳をとるにつれて失われていくものだという恐怖にも似た切実な想いがありました。
「どうしよう。どうしよう。」
絵で描いておけば残せるのではないだろうか。
カメラを持っていなかったわたしは、いちばん身近な、けれど100%じぶんの力でなんとかできる方法を思いつきます。ノートの罫線やキャラクターの模様など気にもなりません。ただただ “パンを食べる弟” を「残す」ために彼を一生懸命観察して鉛筆で描きました。当の弟はそんな姉の気持ちを知る由もありません。夢中で食べる弟、それを必死に追うわたし。もぐもぐする口元と鼻の形がむずかしくて、思い通りの線を描いてはくれないじぶんの右手の指を恨めしくも思いました。
今を刻み、留めるものとして
“つくること” “描くこと” に関しては、父方の祖父がおしえてくれたように思います。可動式の小さな本棚を作るのを手伝ってくれたり、ノコギリの使い方を教わったのも祖父からでした。物心ついたときには姉弟3人それぞれにスケッチブックを与えられ、身のまわりにある自然や植物、旅行先の風景などを描きました。
小学校の卒業式にもらったカーネーションを花瓶に入れたとき、これが枯れていくのが切ないと感じたことも覚えています。あかるい昼下がりに涙が出ました。やっぱり、それも描くことにしたのです。美しいもの、大切なもののいちばんピークの瞬間を刻めるもの。“今” を刻み、留めるものとして、“描くこと” をわたしは最高に信頼していました。
前述の弟の絵を描いたノートの1ページを、のちのちフレーミングしてずっと壁に掛けてくれていたのも祖父です。黄ばんだノートは今でもフレームのなかに時間を留めています。