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【1000の日々】865/1000

関東のあちこちでお借りした作品をトラックに積んで西にある美術館に向かう。借りるのも積むのも美術品専門輸送業者のみなさんのお力がなければできない。今回はさほど遠方ではないので自分がトラックに同乗するのは6時間程度。2回ほどサービスエリアで休憩する。

西の美術館に無事に着き、作品を1点ずつ確認しながらトラックからおろす。というか業者さんたちにおろしてもらう。このあとはその美術館の学芸員の仕事になる。展示室に仮置きする(というか仮置きしてもらう)ところまで自分も見届ける。

来週は再びこちらにお邪魔して展示作業に立ち合わせていただくことになる。この館は巡回展の幹事館であり、最初の会場なのだ。私の勤める館にはその次に回ってくる。

展示方法が特別に難しい作品があるわけではなく(平面作品ばかりだ)、額も含めた作品のサイズ自体は全てわかっているので、見学せずとも自分の館の展示図面は書けるし展示もできる。それでも展示作業の現場にはなるべく身を置きたい。というのも個々の作品のサイズ感、もっと言えば存在感はやはり実際の空間で、自分の感覚で掴んでおくことが肝要だと思うからだ。それら個別の存在感を持つ作品があり、それらがあるまとまりになった時にどんな質感の空間になるのか。巡回展が他館で先に始まる場合は、作品が生み出し得る空間のあり方を先に知ることができるので、後続館はいろいろ学べるという特典があるのだ。

出来上がった会場を見に行くだけでじゅうぶん学べる、という場合もある。今回はどちらかといえばそのパターンだろうとは思う。それでも立ち会いに行くのは、自分が個人的に長年の宿題としてきた(とかいう割には放置期間も長かったがともかく)画家の約30年ぶりの回顧展で、これだけたくさんの作品(資料込みで約180点)が出る機会はたぶんこのあと数十年はなく、少しでもゆっくり付き合っておきたいから、という理由もあるのだった。

業者さんに作品を箱から出してもらって床に仮置きしてもらって壁にかけてもらって照明を当ててもらう、そのプロセスで作品がどれくらい変貌するのかを味わっておきたい。

それが「ゆっくり付き合う」ということの意味の一部なのだが、自分の館での展示作業では、作品とそんなふうには付き合えない。あらゆる判断に一定のスピード、瞬発力が要る。それはそれで良い力試しだ(それが仕事)。それは作品を味わうという経験とは違う。致し方ない。だからわざわざよそ様にお邪魔して作業に立ち会いながら味わう。これくらいのささやかな贅沢は許されると思う。そしてこの経験はきっと観客のみなさんのお役にも立つ、と思う。

20240615




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