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コレクションのささやかな物語に、こころ惹かれる人が増加中?【美術館再開日記22】

メディアが入る華々しい企画展と、地元作家などをフィーチャーする地味なコレクション展。ここ20年のあいだに、地味な後者に対する注目度がじんわりとアップしてきたな、という体感がある。日本各地の美術館学芸員が地道に努力してきたことに加え、観客の側も少しずつ変化した年月。

その努力と変化のあいだにどれほどの因果関係があるかはわからない(20年くらいではまだわからない)。でも一般論として、地に足のついた営みに好感や関心を持つ人たちが以前よりも増えていることは、確かだと思う。コロナは間違いなくこの傾向を加速させた。日々の暮らしに最も近いところで創造の手がかりを得られるかどうか、いま立っている場所とのつながりを再確認できるかどうか。という関心。

経済的には「失われた20年」だし、去年あたり、「美術館は作品を売って運営資金に充てればいいんじゃないの」と言わんばかりの素敵にペラペラな「構想」が政府から漏れ出たときはもはや唖然とするしかなかった。が、他方、じわじわと進む人々の生き方の変化は後戻りしないという直感もあり、とりあえずその微風を信じて進むのが、心身ともに壊れずにすみそうな道かと思う

さて当館のコレクション。何度か書いているように、けっこうカオスである。王道の美術史への小さなアンチの拳を振り上げるように作品を集めてきた、といえなくもないが、年々尋常でない量(買うお金はないので寄贈で)増える、バラエティ豊かすぎる作品群を前にすると、これは本当にただのカオスになるんじゃないかと思ってしまうこともある。そこを踏み外さずに道をつけるには、どうしたらいいか。

当館の場合、「誰が、どういう経緯で、この作品をここに贈ってくれたか」を、それこそ地道に愚直にいちいち説明するという方法をとった。コロナによる臨時休館明けの6月から8月、そうしたアプローチで、近年新たに収蔵した作品のお披露目を行ったら、思っていたよりもじっくりと「いちいち説明」パネルを読んでいく来場者が多かった。閉幕後、撤収作業中の展示室を眺めながら、そのことをふりかえった日の日記。


美術館再開69&70日目、8/21&22、猛暑。コレクション展の撤収現場で、ふりかえる。


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都内コロナ両日とも300人、くらい。
山崎正和さん死去。知の巨人またひとり去る。

先週末で2階のコレクション展示が終了、
今週来週はゆっくり展示替え作業が進む。
「作品のない展示室」のおかげで、
コレクション展「気になる、こんどの収蔵品」も
たくさんの方にご覧いただいた。



近年ご寄贈いただいた作品について、
その作者や作風のことだけでなく
その作品が誰の手元に置かれており、
どんないきさつでセタビにお迎えすることに
なったのか、
という説明のパネルをつけた地味な展示。

であったのだが、想像以上にじっくり読む
来場者が多かったような。

そういう物語は、ちょっと前だと
ぜんぜんウケなかった気がする。
なんだかベタベタした感じがしたかも。

よほどの名画名作なら別だろうけれど、
一般に知られていないような作品の来歴なんて
誰も興味の持ちようがない、と、
少なくとも美術館側としては
(勝手に)思っていた気がする。

※「よほどの名画名作」揃いであっても、「来歴」は集客ポイントにはなり得ない、と主催メディアが判断したと思しき大型展の命名例として、以下。英文のメインタイトルは「Great Collectors」だが、邦題は「ボストン美術館の至宝」。2017年の大型展。まあ当然といえば当然の判断だ。



ところが、一種のコロナ効果なのか、昨今は
「いま、ここに、こういう人やモノが在って、
自分がそれに出会えていること」への
感覚が研ぎ澄まされている人が少なくない、
ような気もする。

どうにもならない状況に追い込まれると
ささやかでも確かな「ご縁」が生み出す世界が
ある、と確認して自分の所在なさを慰める、
ということもあるかもしれない。

とっても人間くさくて、
ちょっと前までの美術館では
どうかするとダサかったこと。


※コレクションとどう向き合うかは、どこの館でもますます重要になる。美術館が良いコレクションを育てるってどういうこと?について知るには、和歌山県立近代美術館の青木佳苗さんの記事が良い。↓

その和歌山近美、今年は開館50周年だそうで、まさに「コレクションの50年」と銘打った企画展をひらくようだ。これは興味をそそられる。


コレクションを使った公立美術館の試みといえば、2019年春の福岡市美術館が出色だった。コレクション展と企画展を巧みに連動させ、全館丸ごと使って「ウチはこういう美術館です」と打ち出したのだ。前者と後者を「+」でつないだタイトル、実は超直球だったのだが、一般には少々わかりにくかったかもしれない。しかしともかく圧巻で、この館の長年の研究の蓄積と、その上にこそ花ひらく次世代の学芸員の力量、という創造の連鎖を感じた。


練馬区立美術館のつい最近の試みも良かった。開館35周年記念の、コレクション+現代アート作家新作展。作家によるコレクションの読み解きが、おそらく担当学芸員による当初のテーマ設定にさらなる生命力を与え、全体としてとてもダイナミックな場に仕上がっていた。

さて、今回の記事は「メディアが入る華々しい企画展」と「地味なコレクション展」という対比で書き始めた。だが、上の練馬の例がそうであるように、両者のあいだにはもうひとつ、「コレクションを活かしつつ、少しは他所から作品をお借りして(または若手作家に作ってもらって)こしらえる地味めの企画展」がある。ここが今後の美術館の活路をひらく。メディアや観客も、少しずつでいいので、そういうのを渋く面白がってもらえるようになるといいなと思う。


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