「狂人」のダンス。文化イベントのお値段。「戦後」75年目の国で。【美術館再開日記19】
後半は少々なまなましい話かもしれない。前半と後半はどうつながっているのか、と思われるかもしれない。8月なかばに観た「狂人」のダンスと、メディアがらみの大型展覧会の話。つないでくれたのはたぶん、ドナルド・キーンの自伝だ。
いわゆる終戦記念日の前後から、キーンさん(知り合いでもないのにこう呼びたくなる)の自伝を読みはじめていた。和訳もあるが、若き日のキーンさんの写真が魅力的な原書の方をあげておく(山口晃のカラー挿絵入り)。この人がどんなふうに日本の文化に出会ってきたか、それはこの人がどのような日本人に出会ってきたかの記録でもある。やさしい文体が滋味深く、するすると岩を伝う清水を両手で受けている気になる。↓
キーンさんにとっての原点は、米英の大学で学んだ平安・鎌倉の古典、そして戦地での任務として解読した、同世代(かそれ以下)の日本兵が遺した日記。この両輪がなければ、きっとその後のこの人の歩みはなかった。キーンさんの岩清水を受けとめながら、私はたぶんどこかで思っていたのだろう。2020年のいま、私たちの足もとの文化はどうなっているんだろう、そこで生きてる私たちの姿は、どんなふうに見えているのだろうと。
美術館再開64&65日目、8/15&16、超猛暑。ドナルド・キーン自伝と「狂人」のダンス。
敗戦を告げるラジオ放送と「戦後」開始から75年。
都内コロナは400人とか300人とか。
先日からドナルド・キーンさんの自伝をペーパーバックで読んでいる。
1953年の8月、念願叶い、研究助成を得て来日。
京都で過ごす、とある。
占領が終わった翌年の、ちょうど今ごろだ。
ある月夜、龍安寺で石庭をひとり眺めていたら、
スッとお茶が出てきた。住職の妻だった。
「写真花嫁」として渡米したが、結婚に至らず
帰された、というような話を聞かされる。
キーンさんの筆は、ゆきずりの人も含めて
こういう「忘れ得ぬ人々」の姿をたくさん描いている。
さて、日暮里の小劇場d-倉庫では
「日本国憲法を上演する」というシリーズを敢行中。
ものすごく豪華な面々が登場するが、
8月16日の出演は、「作品のない展示室」での
クロージング・プロジェクトをともに創りつつある、鈴木ユキオさん。
鈴木さんは、1回45分、1日に5回、
各回のあいだにの休憩10分だけで踊り通す。
日本も、世界のあちこちも不穏ななか、
あえて「狂人」であることを引き受ける作品だ。
本人のコメント、迫力の記録写真はこちら↓
1日に何度でも出入りokで
合計90分まで観てよい。
コロナ状況も考慮したすごい企画である。
それならと、最初と最後の回を観た。
ダンスは世界の不穏を代弁はしない。
しかしダンサーによって
何かが確かに引き受けられているとき、
観ている側の態度も照らし出されて、
客席の暗がりで安穏とはできなくなる。
実際、最後の数分は客席側も
すーっと明るくなって、
汗でドロドロのユキオさんが
静かな表情でこちらに向かってくる。
今回、舞台と客席は完全に地続き。
あなたも私も同じところにいるのです。
違いますか?
公演のあいだの空き時間に上野に行って
絢爛豪華な「きもの」展を見る。
くらくらする。素晴らしい。
これだけの美意識と技術と贅を極めるのに
数百年でどれだけのお金が動いたのか。
ともついつい考えてしまう自分が、悲しい。
美術館再開67日目、8/19、まあまあ猛暑。お値段の会議。
都内コロナ200人とか。それよりも
熱中症関連の人数がすごいけどね。
今日は先々の展覧会でご一緒することになる
某メディアの方々との打ち合わせ。
金勘定の会である。またの名を仕切り直し。
大量動員に同意しなければ収支が合わないのが
メディア共催展である。
大量、といっても当館のような、
都内にあってもへんぴな場所のささやかな美術館じゃあ、
先方も大した期待はもともとしていないが、
それでもコロナの影響でさらに期待できなくなった。
安全のために
1日あたりの人数を減らさねばならないなら
入場料を上げるしかない。ですよね?
●●では1800円にするそうです。
××では早割で2000円、通常で2300円です。
いまや地方館も値上げに踏み切っています。
東京が上がらないと地方も困るそうですよ。などなど。
ええまあそれはねえ、ええ、ええ。
のらくら、はぐらかす、当館上層部。
そういえば今日は話題に出なかったが、
メディア共催展といえば「特設ショップ」。
館内の目立つところにでかでかと設置して稼ぐ。
当館でいえば、エントランスにでかでか、が定番である。
その見栄えについては、コメントしない。
いま、エントランスは完全にコロナ対策のために使われている。
その見栄えについても、コメントしない。
この階段の向こうにあるのが
ド派手特設ショップとコロナ対策エリアとでは
どっちがいいか。
どっち…? 答える気が全く起きない...。
※美術展なのにグッズで稼ごうとするなんて、と思う人も、世代や考え方によっては、いるかもしれない。もしグッズ販売をやめたらどうなるのか?入場料だけで採算が合うようにせよ、という話になる。一般料金は間違いなく3,000円級になるだろう。普通の人は誰も来なくなるだろう。グッズ販売が悪いわけでは全くない。良き定番グッズには何も問題はない。問題はとにかく一時的なイベントやモノを売る時のバランスである。空間の使い方と見せるものの内容とそれらの対価との、バランス。分相応であるかどうか。一時的なら分相応を超えるのも仕方がないと考えるのか。これからどうしたらいいのか、まだまだわからない。
もしサポートいただける場合は、私が個人的に支援したい若手アーティストのためにすべて使わせていただきます。