見出し画像

なんとチケットが足りなくなった「器と絵筆」展。

「器と絵筆」展、1/5-2/28、48日間という短い会期だったが、無事に閉幕。いや無事というかなんというか。

その48日の間に、異例ずくめのことが続々と起こったのだった。

というわけで事後メモ。お金のこと、に見える、ひとの気持ち、についての話。


どのチケットが足りなくなったのか

最初に異変に気づいたのは、1月後半。来場者数の伸び率が高い。うーん、これはありがたいことに、想定入場者数を超えてくる気が。そうなると解説の小冊子が足りなくなるかも?幸いまだ予算は残ってるし、よし、ちょこっと増刷をかけよう、と判断。

あ、当館サイトにPDFはあるんですけどもね↓


で、2月初旬。増刷分の冊子が数千部届く。余裕のスケジュールだ。が。

翌週、事務方が飛んでくる。

「塚田さん、あのねえ、嬉しい悲鳴なんだけどさ。なんとチケットが足りなくなる。」

…は??

解説の冊子は割とギリギリの部数だったから、増刷はまあ仕方ない。が、チケットはものすごく余裕を持って刷ってあるはずで、いくら来場者が多いからってそうそうなくなるわけはないのだ。思わず印刷物の仕様書を見直す。うん、間違ってない。なのになんで?何がそんなに足りないの??

「一般券がどんどん出ちゃって。あと、小中学生の券もあと5枚しかない。」

・・・。

理解不能である。天を仰ぐ、的な気分。あ、スポットライト1個消えてる。。。

画像4


チケットは通常5種作る。一般、65歳以上、大学・高校生、小・中学生、そしてご招待。券種ごとの枚数は企画展によって変えるが、ここ20年で現代美術をやらなくなり、すっかり「昭和」な館になったこともあって、来場者はシニア中心。で、今回も、一般券とシニア券は同数ずつ刷っていて、仮になくなるとしたらシニア券のはずだ、普通なら。小中学生券?なくなるなんて聞いたことない。

いや、薄々感じてはいた。日々展示室を回る。ひと部屋に10人同時にいたとしたら、うち7、8人はシニアでもおかしくない展示内容だが、そんなにいない。若いカップルか、家族づれ、それもなんというか、「アートの早期教育に励んでます!」な臭いのあまりしないファミリーが、目立つ。ある週末の午後、展示室に行ったら、魯山人の部屋にいた20人くらいのうち、シニアはたったの一人だった。なんだこれ。

・・・そうか、シニア層は外出を控えているのか。緊急事態宣言中だもの。特に遠出は控えてるのかも。来れているシニアは近隣の人なのかも。で、その代わりのようにして来ているのがカップルかファミリーだったら、そりゃ一般と小中学生券は足りなくなるか。まあ砧公園は梅も見頃だしねえ。

画像1


と、ここまで考えて、いや、まだちょっと違う、と気づく。

招待券を使う人の割合が、日々ものすごく少ないのだ。

みんな自腹で来ている。だから有料券がなくなるのだ。

大慌てでチケット増刷の手配をしながら、とても、考えさせられた。


そうだ、料金設定が、いつもと違っていた

「器と絵筆」展、一般料金は500円。これまでだと、メディアの入らない企画展は1000円。つまりいつもの半額だ。

この「500円」に明確な根拠はなかった。決めたのは予算を組み直していた去年の夏で、その頃私自身は、いつも通り1000円で良いと思っていたし、そのように提案もした。

が、諸先輩方が「1000円はダメだ、500円だ」と譲らない。今年度の収入、めちゃくちゃですよ?と言ったが、ここで多少頑張ったってどうにもならないくらいめちゃくちゃなのだし、コレクションしか出せないのだし、とにかくコロナで誰も彼もがめちゃくちゃなんだから、というわけで500円になった。

そんなんで大丈夫なんかいな、と思いつつ、まあ今回はカタログも作らないし(=時間も労力も支出も減る)、よそから作品借りないなら輸送費ゼロ、チラシもポスターも少なめに印刷、でもウチの目玉作品たちが貧乏くさく見えないよう、ディスプレイはよくよく考えて、何より広報を新しい発想で、ということは、いろんな人のアイディアに助けてもらいながらよーく考えた。

(あ、解説動画は、おかげさまで最初の3週間で再生回数1,000回を超えました↓)

画像2


何が決定打なのかはわからない。すべてが絡み合っていることは間違いない。で、結果、入場者数そのものが想定を大幅に上回り、なおかつチケットが劇的に足りなくなるくらい、その大半の方が、お金を払って来てくださったのである。


「入場者数」のなかでも、本当に大事な数字

入場者数。何かと話題にのぼる数字だが、その内訳は一般には明かされない。もちろんここでも込み入ったことは書けない。なので、数字を単純化した、たとえばの話をしてみる。

展覧会Aは一般1000円の設定。チケットを買った人が5000人、招待券で入った人が2000人だったとする。展覧会Bは一般500円の設定。チケットを買った人が10000人、招待券で入った人が1000人だったとする。A展とB展を比べてみよう。結果としての収入額は同じ500万円。だがB展の方が、より数多くの人が、より自発的に、美術館に足を運んでいる事になる。

今回起こったのは、ざっくり言ってB展のようなことである。

もしB展の入場者がA展と同じ7000人止まり(チケット購入6000人、招待券1000人)だったら、どうだろう。収入額としてはA展には及ばない。その意味ではよろしくないとも言える。が、それでも、「より数多くの人が、より自発的に」という点でなお勝っている。

これ、とても大事なことなのではないだろうか。


チケット料金と、興味+お財布事情

もちろん、ただ安いからと言って人は美術館には来ない。なんとなくでも、ほんの少しでも、何らかの興味をもってもらえればこそ、「行こうかな」の選択肢に入る。で、なんとか興味を持ってもらえたとして、次の決め手は?このご時世、やはりお財布事情ではないだろうか。

興味+財布=1000円くらいOK、という人は、1000円でも500円でも変わりなく来る。来れる。

興味+財布=500円くらいかなー、という人は、1000円だとハードルが高いのだ。来ない。来れない。

今回見えてきたのは、「興味+財布=500円くらいかなー」という人が、明らかにそれなりにいて、そういうひとたちは具体的にはおおむね若者かファミリー層で、そういうひとたちがちゃんと、数千人レベルで来た、ということなのだった。

もしいつものように一般1000円にしていたら、きっと想定通りの入場者数だったんじゃないかと思う(いやシニアが減る分、想定より少なかったか)。いずれにせよ、何も新しい問題として見えてこない。見えないまま、この先もずっと過ごすことになっていたのだろう。「こんなもんだよね」と。恐ろしい話だ。

今回の「器と絵筆」展、自分のなかでは最初から昨夏の「作品のない展示室」とひとつながりのプロジェクトとして取り組んでいた。でも、最後にこんなことが見えてくるとは思っていなかった。お金のことばかり書いた回になってしまったが、私の脳裏にはずーっと、展示室でのあんな人こんな人の姿がよぎっている。

みなさん、リアルであれオンラインであれ、ご来場、本当にありがとうございました。

画像3








もしサポートいただける場合は、私が個人的に支援したい若手アーティストのためにすべて使わせていただきます。