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夏の甲子園開催中止で思い出したこと・伝えたいこと。

インターハイに続き、夏の甲子園も開催中止が決まった。

わたしの「野球好き」の原点でもある高校野球なので、センバツのときもそうだったが、悲しいし寂しいという気持ちは拭えない。

中止決定を受け、高校野球のOBであるプロ野球選手たちからさまざまなコメントが寄せられている。
経験者である彼らの言葉はやはり実感がこもっていて重いし、響くんだろうな、と思いながら眺めていたけれど、
バリバリの文化系であったわたし(唯一入ったのが卓球部だったけど途中で退部w)にも思い当たる節というか思い出した出来事があるので、違う立場からの話として小耳にでも挟んでもらえたらなと思いこれを書くことにした。


先に言ってしまうが、わたしから伝えたいことは
「いつか向き合って、自分の中で消化できる日が来る。そのいつかが来るまで無理しなくていいよ」ってことだ。


「甲子園に行くこと」「全国制覇すること」が約18年の人生において一番大きな目標、むしろ至上命令くらいに考えていた人も多いかもしれない。
限られた練習時間で最大の効果を得ようと創意工夫したり、暗くなるまで白球を追いかけたり。
故郷を離れ、遠い地で同じ志を持つ仲間たちと練習に明け暮れ、夢を語り合った人だっていただろう。
辛くたって、その目標のためならどんなことでも頑張れたし、耐えられた…

その無数の努力たちが、発揮される場もないまま幕を下ろすのだ、
0.00000002mmなんて大きさだけで見るとちっぽけな、でも恐ろしいウィルスのせいで。


君たちは何も悪くない。
けど、なかなか気持ちを切り替えることは難しいかもしれない。
「なんで自分たちの世代だけこんな目に遭わなきゃいけないのか」とずっと根に持つかもしれないし、
「もう切り替えました、大丈夫です!」と周りに言っていても、ふとした時に思い出して気持ちが沈むかもしれない。
一縷の望みにかけて吉報を待っていた、2020年5月19日で時が止まってしまったような、魂を置き去りにしてきてしまったような、そんな感覚に陥る人が居たっておかしくない。

そんな球児たちの姿を想像していたら、今から十数年前の自分のことを思い出したのだ。



わたしは大学時代バンドサークルに所属していた。
最高に面白い先輩・同期・後輩に出会えたことに今でも感謝しているし、このサークルに入ったから大学生活楽しかった、と言っても過言ではない。
それゆえ卒業してからの"ロス"がすごかったのだ。
サークルで過ごした日々は楽しかったけれど、実は主たる活動であるバンドは満足に組めなかった。
もっとコピーしたい曲やアーティストがあったけど、メンバーを集められなかったりして叶わなかった。
当時サークルにはジオシティーズ(懐かしい!)で作ったホームページと部員もそれ以外の人も書き込める掲示板があって、卒業後もブックマークに入れたままだったのでたまに見ていたのだが、ある時、わたしがコピーしたかったバンドを後輩がやっているのを知った。


悔しかった。
わたしだってやりたかったのに。


それ以外にも「合宿しました」「どこそこにみんなで行ってきました〜」という楽しそうな報告を目にする度、
「店長に怒られないこと」だけを目標に、胃を痛めながら出勤する日々を送っていた社会人1年生のわたしには眩し過ぎて辛かった。


結局2年くらいこの”ロス"は続いた。
何を以って克服できたのか今となっては覚えていないのだが、わたしはその2年の間、誰にもこの気持ちを言えなかったのだ。
「羨ましい」「悔しい」と思う自分を認めたくなくて。元来のプライドの高さも大いにあるとは思うけど。




もしわたしが体験した"ロス"のような気持ちが表れてきてしまっても、球児のみんなには無駄に悩んで欲しくないのだ。
聞き分けの良い子になんてならなくていい。
「前向きに」なんて言ったって、そんなすぐに前向けないよ。

例えば来年、今までのように大会を開催できたとして、甲子園で躍動する後輩の姿を見て気持ちがぶり返してくることだってあるかもしれない。
思い出して辛くなったら吐き出そう。
自分の心の動きに正直に。
そして変に励ましたりせず、気持ちに寄り添って、話を聞いてあげることが周りの大人の責任だと思っている。


ただ覚えておいてほしいのは、これからの人生の方がずっとずっと長いということだ。
「そんなこともあったね」と10年後20年後同窓会なんかで酒を酌み交わしながら笑い合う、そんな未来が来ればいいなと祈っている。

いただいたサポートで球場で美味しいビールが飲めますありがとうございます(^^)