見出し画像

ショートショート17 創造と破壊

 だめだなあ。もっとたくさん背負えるように空っぽになりたい。手の内になにもなくていいし、なにも手に入れていなくていい。

 お気に入りのカバンもピアスも、ネックレスもわたしを縛るものは全てこの世から消えてしまえば身軽になれるのにな。
 大切なものをずっと抱えるために、内部を空っぽにするわけなんだけど、空っぽにするってことは、いま大事なものを一回全部捨てることだから圧倒的に矛盾してるんだよなあ。
 でも信じるものがなにもないからだきっとそれもできてしまうはずではある。だからこそ迷う。

 そういえばこないだ、もっと自分を大切のするために友だち減らしたらって言われたんだけど、「友だちを切るってなったら、大事な人から全部消しそうでこわい」みたいなこと言われてああバレてるなと思った。

 そうなんだよね、大事なものしか持ってないから全部捨てて絶望できるんだよな。しかもやるとなったら徹底的に苦しみたいから、友だちもわたしも、わたしのなかの分人もぜんぶ世界から消滅する。消滅したら辛くて生きていけないから、全部消滅させる。なんだろうね、たぶんわたしを構成する大部分が消滅するから生きていけないんだけど、安心できる。

 つくづく自分には、相反する感情が常にセットなんだな。不安定こそ安定。嬉しいこそ悲しい。これを、そこら辺の価値観で「かわいそう」と形容されちゃうのかな。考えなしに形容するのは、なんら問題ないけど、考えた上であえてそうするなら、そういう人生を送ることができたくじ運が羨ましくて堪らない気もする。

 自分にとって大切なものが音を立てて崩れる音を聞く前に、そもそもそういうものの事例を知らないのよ。だから作り方はわからないのは当然のこと。

 最近結構大量のわたしを殺したよ。細分化して一番コンフォートゾーンに近しいものを常に選別して、違和感を感じるものは明確に感じとり、たくさん殺した。そうして、これからも殺す。殺すことを分かっていても生むんだよな。結局殺すなら産まなきゃいいのに、と思うかもしれないけど、これは、創造と破壊のエネルギーにこそ全てが込められてるのよ。

 言語化に走りたいわたしと、感覚に身を委ねたいわたしが今日も相反を生みだすのだったら、今まで亀裂を丁寧に丁寧に補填してきたものを、両側から意図的に負荷をかけて、2つに割ってしまいたい。そうしたらもう戻れないけれど、中途半端な人間は死んでしまえるね。

 そしてわかった。わたしは分かりあいたくない。お互い平行線を走りたい。お互い影響されすぎず、横を眺めたい。でもそれに気付かせてくれる人や、これらの思想を肯定してくれる人がいるから生きていけちゃうんだよなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?