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積読書日記 #1 Jan-Feb.2024

自分のための図書館を作っているんだ、と思いながら、本を買っている。

そんなふうに買っていると、本棚に入りきらないものは家のあちこちに立てたり、積んだりして置いておく羽目になるが、特に専門書などは、目を離すとすぐに品切重版未定になってしまうので、いいと思ったら買っておくしかない。

買っておくしかないけれど、なかなか読むぞというタイミングが来ない本もある。無理矢理読んでも進まないので、すぐに手に取らない本は、読みたいと思う時まで、とりあえず並べておく。すると、自分の本棚に、そして家中に、読んだことのないおもしろそうな本が並んでいるので、いつも新鮮にうれしい。わたしだけの図書館だ、と思う。

そんな積読本を読んだ、積読の読書記録。




『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』

こよなく愛したC・ラムを巡る英国への旅。香り高き紀行文学ーー英国の名文家として知られ、今もなお読み継がれているチャールズ・ラム(1775~1834)をこよなく愛した著者が、ロンドンを中心に、ラムゆかりの地を訪れた旅行記。時代を超えた瞑想が、ラムへの深い想いを伝え、英国の食文化や店内の鮮やかな描写、華やかなる舞台、夫人とのなにげない散歩が、我々を旅へと誘ってくれる。豊かな時間の流れは、滞在記を香り高い「紀行文学」へ。

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211104

友人に「絶対好きだと思う」とすすめられて『夕べの雲』を読んで以来、友人の思惑通り庄野潤三が大好きになり、定期的にAmazonで中古本を検索しては買い集めている。

『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』は、そんな庄野潤三が愛してやまないチャールズ・ラム(19世紀イギリスの作家)の足跡をたどってロンドンを巡る紀行文学。結構前に買っていたような気がするが、わたしはラムのファンというわけではないのでしばらく置いてあった。ロンドンに旅行する予定ができたので、飛行機の中で読もうと思って、「地球の歩き方」と一緒に荷物に入れて持って行った。

もちろん本のメインは「ラム」なので、彼の文章やエピソードをなぞりながら街を巡る部分が多いのだが、その他の部分も(というか主にその他の部分を)紀行文として楽しく読んだ。旅先でもルーティンを生み出して暮らしている夫婦の様子が何とも素敵で、庄野文学の中で何度も繰り返し描かれる「大阪行き」のような安心感がある。毎朝果物を買いに近くのお店に行ったり、同じ店で何度も食事をとって店員さんと交流したり、いつでもどこでもスタイルにブレがないな、とにこにこしてしまう。

本の楽しみ方としては完全に邪道だなと思いつつ、庄野潤三が泊まっていたホテルや歩いた通り、訪れた場所などをピックアップして、Google Mapに登録、ロンドンに着いてから実際に見に行った。推し活というのはこういうことなのか、と感慨深かった。


『シェニール織とか黄肉のメロンとか』

かつての「三人娘」が織りなす幸福な食卓と友情と人生に乾杯!作家の民子、自由人の理枝、主婦の早希。そして彼女たちをとりまく人々の楽しく切実な日常を濃やかに描く、愛おしさに満ち満ちた物語。江國香織〝心が躍る〟熱望の長編小説。

http://www.kadokawaharuki.co.jp/book/detail/detail.php?no=7081

中学生の時から大好きな江國香織の近刊。気を抜くとすぐ本が増えるので、基本的には文庫本しか買わないようにしているのだけれど、表紙絵と装丁があまりにも好みでつい単行本を買ってしまった。江國さんの本で使われている書体——少し特徴のある明朝体が多い気がする——も、いつもとても好きだ。

『シェニール織とか黄肉のメロンとか』は、学生時代からの友人同士である50代後半の女性3人を巡る物語。

ライフスタイルも性格も好みも全く違うのに、なぜか気を許し合える存在というのは、学生時代に知り合わないと生まれない気がする。出席番号が近い、たまたま部活が同じ、帰りの方向が一緒など、性格や好み以外の理由で一緒にいる状況は、大人になるとあまりない。この本のタイトルは、学生時代の3人が共有していた、その時にしかない時間の象徴だ。あの時は戻らなくても、何なら忘れてしまっていても、同じ時間を共有したという事実は、当人たちの中にずっと残っている。

それにしても、江國作品の中に出てくる女たちには惹きつけられてしまう。誰も一筋縄で行かないし、時々おそろしく真っ直ぐで、少しどこかが壊れている。一人のキャラクターに一貫して感情移入したり、自分を重ねたりすることはほとんどできないのに、たまにぽろっとこぼれる一言や思考が、自分のもののように「わかる」ことがよくある。


『川のある街』

はかなく移りゆく濃密な生の営み。
人生の三つの〈時間〉を川の流れる三つの〈場所〉から描く、
生きとし生けるものを温かく包みこむ慈愛の物語。

https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=24646

『シェニール織とか黄肉のメロンとか』と同じ日に買った。江國さんの本と推理小説は、積読することなくすぐに読んでしまう。

江國さんの長編は、家族を描いたものが好き——『流しのしたの骨』『抱擁、あるいはライスには塩を』『思いわずらうことなく愉しく生きよ』あたり——なので、3つ目の話が好みだった。

認知症が進んでいく芙美子の、途切れたり、過去が流れ込んだりしてくる記憶と、それに翻弄されながらも、抗おう、わたしは抗えている、と踏ん張る姿。その様子を目の当たりにしてショックを受けたり、憧れの伯母がまだちゃんと「いる」ことに安堵を覚えたり、揺れ動きながらも芙美子に向き合う姪の澪。二人の視点を行き来しながら物語は進み、芙美子の過去と今が立体的に浮かび上がってくる。

3つ目の話にはなかった(と思う)けれど、江國さんのエッセイをたくさん読んでいると、物語の中にふと、エッセイで見たことのあるエピソードが出てくることがある。登場人物の好きな食べものだったり、好きな言い回しだったり、不思議に思っていることだったり。それを見つけると、つい嬉しくなってしまう。作家にこだわらず色々な本を読むのもおもしろいが、気に入りの作家の本を何年にもわたって読み続ける、密かな愉しみになっている。


『ピュウ』

舞台はアメリカ南部の小さな町。教会の信徒席で眠る「わたし」を町の住人はピュウ(信徒席)と名づけた。外見からは人種も性別もわからず、自らも語ろうとしないピュウの存在に人々は戸惑う。だが次第に町の隠れた側面が明らかになり……。気鋭の作家、キャサリン・レイシーが人種や性の枠組みを揺さぶる、挑発的な意欲作。

https://www.iwanami.co.jp/book/b629835.html

今月はめずらしく積読書が少なめで、この本も先の2冊と一緒に買って、一気に読んでしまった。

新聞か雑誌かSNSか何かで見て、表紙と『ピュウ』という不思議なタイトルと、手書きのような風合いのある書体に惹かれて気になっていた。"PEW"という単語を知らなくて、語感の似た"SPEW"(反吐)に関係があるのかなとか、得体の知れない不気味なもの(Spooky 的な)を表すのかなとか想像していたら、教会の「信徒席」のことで、なんとなく拍子抜けした。

保守的な白人キリスト教徒のコミュニティに現れた、性別も年齢もわからない、さらに自分のことを全くしゃべらない「ピュウ」は、周囲の人間のほとんどを不安にさせる。カテゴリごとに振る舞いや社会的地位、扱い方が決まっているコミュニティは、カテゴライズできない存在を嫌うからだ。ピュウの目を通して描かれる人々は、もはや病的に見えるほどカテゴライズに熱心だ。

読んでいるあいだ、ずっとじわじわとした恐怖があった。自分たちを守るために、「あなたのことを思って」という理由をつけて、誰かをねじまげようとする場所。わたしたちがそんなところにいたとして、どうやって出ていくことができるんだろうか。そもそも、出ていく先はあるんだろうか。


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