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野良人間

様々な物件に住んだ。
幼い時から引越しの多い親元で育った私は、両手両足を超える数に暮らしたことになる。

中でも印象に残ってる物件があった。

それは北九州に住んでいた時。
北九州には都合3年暮らしたのだけど最初は実家に1.5年、その後は1.5年。その一人暮らしの1.5年は築年数の恐ろしく古い、家に住んでいた。

その家の作りは2dkの平屋が横に3軒繋がっていた。
つまり長屋。
物件名も○○棟割という名前だった。

手前2軒と、お向かえには、70をとおに越しているご老人達が住まわれ、
いつも日中は、家の前の椅子に座わり日向ぼっこをしていた。

私だけがその一帯では異質で
そこまで異質だと開き直るしかない!と私は暮らしていた。

2DK?2K?か
の作りはもちろん和室で
台所には漆喰に打ち付けられた古い古い木棚があった。
風呂はシャワーはなく沸かさなくてはならず
トイレは和式
台所側にはお勝手口があり
そのお勝手口や、寝室の窓(下まであるタイプ)
からよく野良猫がはいってきた。
なんせ、そのお勝手口から、排水を取って洗濯機を回したり
寝室の窓には網戸がなかったから。

私はあえて、その古さを活かしたインテリアを心がけた。
漆喰のトイレには、サボサンダルを置き
台所には無印の鍋類を揃え
6畳の寝室には白木の棚を設え、
壁いっぱいにグランブルーのポスターを貼った。
4.5畳の居間には、外用の白いテーブルと椅子を設えMACとプリンターを置いた。

古民家やリノベーションなんかが持て囃される前の話しである。

夜遊び仲間達が、度々遊びに訪れ、オリーブ大好きな高校生の女の子からは、ファッジハウスと名付けようよ!と提案された。

そこでMACを酷使し自営業したり、ミニコミを作ったり、なんだかんだと忙しい1.5年だったが

私は、再び東京へ戻りたくなり、貯金する為キャバで働き
そこで出会った1人目の旦那と北九州を後にした。

とっても不便な家だったけど、
野良猫がベッドに登ってきた時は本当に、なんだか自分まで野良人間みたいな気分になり、
くすり、とおかしかった。

そして白木の棚にギッチリ詰められた無数の本とCD。
自分の好きな世界に没頭してた幸福な1.5年であったよな、と懐かしく思います。

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